【日記】 22/8/14 皮肉と晒し上げ

8/14

盆休みも終わりますが、皆さんいかがお過ごしでしょうか。
私は有志活動で徳をためてました。

全く別な気まぐれで、妙に筒井康隆の『旅のラゴス』が気になって読んでました。
もしかしたら過去に読んだのかもしれませんが、多分初見でした。
周りの情報があたかも自らの体験家のように記憶してしまっていた悪い時期があって、おそらくその頃の影響だと思います。

というのも、作曲家/ボカロPのてにをはさん曰く、「筒井康隆らしい書きぶりの小説は、『時をかける少女』よりも『旅のラゴス』だと思うんですよね。」らしく、それが気になったものですから、
昨日のコミケの行き帰り、行列の合間に読んでました。1日で読み終わる量なのは助かりました。
困ったことは、私が筒井康隆らしい書きぶりを知らないことでした。
このあとに『時をかける少女』を読まねばならないのですが、虚しくもまた明日から振り回されっぱなしの日々になってしまうでしょう。
もうすでに筒井康隆に関しては『旅のラゴス』を読み終わった満足感で済まそうとしている自分がいるので、思うがままにしてあげようと思いました。

話は変わりますが、私の大好きな「皮肉」について考えていました。
皮肉は、自らの発言の影響力(現代では拡散力)が相手より小さいか同じ、または完全1対1のような影響力が排除された場合でした成り立たないのではないかと思いつきました。

影響力の高い者が、低いものに対して影響力を排除せずに皮肉をぶつけてしまうと、それはもう晒し上げと変わらない構図になっていて、

皮肉が成立しているなと思う場面は私の見ている限り、決まって対面で話している時か、最近だと大スターの問題発言や大統領の発言をインターネット有名人が引用したりするときだったり、もうちょっとマシな例が出てきてほしかったのですがそんな場合ばかりで、

歯に衣着せぬ物言いのフォロワー1000人単位の人がアンチのコメントを拾って”皮肉ってる”様はもはや皮肉になっていない様にしか思えず、これが皮肉の誤解になっているような気すらし始めて今に至ります。

言論が5味で表せるのならば、皮肉はほろっとした苦味くらいになっていてほしいです。
きっと私が思いつくくらいなのですから、どこかのおえらいさんがもっと掘り下げた議論をされていると思うのですが、それを探す術を探さんとですね。

今日の曲

こんなタイトルと日記になっててほんと申し訳ないんですが、桜葉どらいぶ氏の新曲が良かったので。

オルタナシーンでは、ギターの一音、1コードの鳴り方までこだわったギターサウンドでしか表現されない繊細な歪みの境地をしばしば聴くことが出来るのですが、桜葉どらいぶ氏の曲どれでもこの境地を聴くことが出来るので本当にありがとう・・・

去年の夏にSnail Mailを聴いて以来オルタナを掘り下げられる体質になって、
こういう情景とギターサウンドの境地の出会いにエモを更に感じるようなってほんと幸せだよ私。



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