『グレープフルーツ・ジュース』オノ・ヨーコ著 南風椎訳【わたしの好きな本】

 今こそ、今、この不穏な時代だからこそオノ・ヨーコさんを評価する一助になればと思いこの文章を書き始めました。
 わたしはビートルズが大好きです。とりわけ最近リリースされた最期の新曲と言われている『NOW AND THEN』を聴き込んでいて一層その思いは深まりました。それと同時に、ふとオノ・ヨーコさんのことにも想いを馳せました。2024年2月18日現在、御歳91。本当に偶然なのですが、わたしがこの文章をどうしても書かなければと思ったのが前日の2月17日。これを書き上げたのは翌日の18日で、なんとオノ・ヨーコさんの誕生日です。彼女の誕生日だなんてまったく知らなかったのに何気なく改めて彼女のことを調べたら誕生日だったのです。「ヨーコさん、お誕生日おめでとうございます!」
 オノ・ヨーコさんはビートルズ関係者のなかでもおそらく最高齢になるのではないかと思うのですが、ビートルズとからめてオノ・ヨーコさんにふれると、とても残念なことにオノ・ヨーコさんを否定的に言う人々のほとんどがビートルズファンだということに気づかされます。つまり彼女はジョン・レノンを唆して妻の座に居座り、ビートルズを解散に追い込んだ張本人だと誤解され続けているのです。
 そういうつまらないことをここで滔々と述べる気はわたしにはまったくありません。それよりも、オノ・ヨーコさんの音楽や詩やアート作品に先入観や偏見なく向き合ってみて欲しいだけです。そのきっかけに『グレープフルーツ・ジュース』をぜひ手にとってみて欲しいのです。とにかくこの本を開いてみてください。参考までにひとつだけこの本のなかの文(PIECE)を紹介してみます。

太陽を見つめなさい。
それが四角くなるまで。

Watch the sun until it becomes square.

 このような、知性や感性を揺さぶる55ものPIECEが本書のなかに散りばめられています。また、文庫本なので携行しやすく、巻末には原文の英語のテキストまで掲載されています。比較的平易な英語で書かれているので中高生にとっても学習や感性を育む等の多面において有益であることも間違いありません。さらにはこの本の出版に際して、合わせて掲載されるようになった写真も感覚を刺激してくれます。
 もうひとつ付け加えると、この文庫本が何よりも秀逸なのはそのタイトルです。『グレープフルーツ・ジュース』。実は英語の原著のタイトルは『グレープフルーツ(grapefruit)』なのです。ジュースとは?なぜジュースと?
 おそらくこういうことなのだと想像します。つまり、原著のグレープフルーツから抜粋して、エッセンスを搾りだしたジュースという意味なのではないかと。因みに原著には150以上の文(PIECE)が掲載されているうえに、さらに後々幾つか書き加えられたようなのでもう少し多いかもしれません(まだ調査不足で正確な数を把握しておらず申し訳ありません)。一方こちらの『グレープフルーツ・ジュース』には先にも述べたように55のPIECEが選ばれて掲載されています。要するに、単純に数の面からみて絞り込まれた、言い換えれば搾り出されたジュースであると言えるのです。
 ところでこのタイトルはだれがつけたのでしょうか?オノ・ヨーコさんでしょうか?それとも日本の訳者や編集者なのでしょうか?どちらにしても原著のセンスを確実に宿したこれもひとつのPIECEです。「グレープフルーツをグレープフルーツ・ジュースにしなさい。だれにも見られないように。そしてそれを会ったことのない人に飲んでもらいなさい。」
 また、PIECEという単語もPEACEと音や綴りが似ていて、オノ・ヨーコさんが一貫して訴え続けている"平和"にも根底でしっかりと通じている気がします。
 もっとオノ・ヨーコさんのことを語らせてください。オノ・ヨーコさんの楽曲のなかでもとりわけわたしが大好きなのは『We're All Water』です。ジョン・レノンとの共作アルバム『Some Time in New York City』に収録されている曲です。ニューヨークのバンド、エレファンツメモリーがバックをつとめています。ラフでありながらも洗練された演奏でオノ・ヨーコさんを盛り立て、彼女も生き生きと歌いきっています。オノ・ヨーコさんの否定派の人々からお決まりのように揶揄されるスクリーミング(叫び)も乗りに乗っています。
 このスクリーミングを聴いていると、こんなに上手くスクリーミングできる人はいないのではないか、と感心してしまいます。馬鹿にしたり皮肉っている訳ではありません。わたしは本心から言っています。このスクリーミングが始まると「おっ!きた、やった!」と心躍るのです。もしかしたら失礼な言い方になってしまうかもしれませんが、女の子が悪戯をしているような、不敵な可愛さというか、ある種の諧謔精神を感じてしまいます。
 仮にわたしなどがスクリーミングしてみたところで、明らかに見苦しくて覚束なく、かっこ悪い感じになるのは間違いないのですが、オノ・ヨーコさんの場合は堂々と迷いなくやりきっているせいか、人類の原初の楽器の響きを聴いているような感慨を受けるのです。思うに音楽的センスがしっかりしていないとあそこまで上手くはスクリーミングできないような気もします。しかしそもそもスクリーミング、叫びに上手いとか下手とかはないのだとは思うのですが、そうは言ってもオノ・ヨーコさんのスクリーミングは超一級品です。邦題『ヨーコの心』というアルバムではジョン・レノンやリンゴ・スター、クラウス・フォアマンという錚々たるメンバーをバックに従えてスクリーミングしています。彼らも彼女のスクリーミングに刺激を受けて原始的で根源的な感覚を引き出されたかのような演奏をしています。こんなことができるのは、やはりどう考えても彼女しかいません。
 ここまでスクリーミングに焦点をあててきましたがそれだけでなく、この曲はメロディーや歌唱は勿論のこと、歌詞が素晴らしいことも忘れてはなりません。やはりと言いますか、さすがは『グレープフルーツ』の著者です。次にこの歌詞の一部を筆者の意訳で紹介させていただきます。

……
There may not be much difference
Between you and me
We show our dreams

We're all water from different rivers
And that's why it's so easy to meet
We're all water in this vast, vast ocean
Someday we'll evaporate together
……

……
わたしたちがお互いの夢を見せ合えば
そこにはたいした違いはないかもしれない

わたしたちはみんな違う川から流れ込む水
だから出会うことはとても簡単
わたしたちはみんなこの大きな、大きな海の水
いつかみんな一緒に蒸発する
……

 ついでにもうひとつ、わたしの大好きなオノ・ヨーコさんの別の曲も紹介します。曲名は『I Love You Earth』です。インターネットで検索すればすぐに見つけられます。この歌もとりわけ歌詞が素晴らしいのです。こちらも一部だけ、勝手ながら意訳させていただきます。

……
I love you, earth, you are beautiful,
I love the way you shine.
I love your valleys, I love your mornings,
In fact I love you ev'ry day.
I know I never said it to you,
Why, Id never know.
Over blue mountains, over green fields,
I wanna scream about it now.

I love you, I love you, I love you, earth.
I love you, I love you, I love you now.

You are our meeting point of infinity,
You are our turning point in eternity.
……

……
地球よ、あなたは美しい、わたしはあなたを愛しています
あなたの輝き方を愛しています
あなたの谷も、あなたの朝も、本当にもう毎日あなたを愛しています
愛しているって決してあなたに言わなかったことに気づいたの
なぜだか愛しているって気づけなかったの
だから今、青い山々を越えて、緑の草原を越えて、あなたに届くように叫びたい

愛しています、愛しています、地球よ愛しています
愛しています、愛しています、今こそあなたを愛しています

地球はわたしたちが無限のなかで交わる地点
地球はわたしたちが永遠において折り返す地点
……

 オノ・ヨーコさんとジョン・レノンの共作アルバムである『ダブル・ファンタジー』や『ミルク・アンド・ハニー』についてビートルズファンのあいだでよく言われているのが、オノ・ヨーコさんの曲をとばして聴くということです。でもわたしは気がつくと逆にジョン・レノンの曲をとばしてオノ・ヨーコさんの曲だけ聴いていることがあります。ビートルズ、ジョン・レノン大好きのわたしがです。
 オノ・ヨーコさんには他にも魅力的な曲がたくさんありますが、音楽に限らない彼女の作品には不思議と人をとらえたら離さないような力があります。平易な言葉と簡単な方法、深い情感で本質を掴み、行動を促して既成概念を溶かし、人を自然に還してしまうのです。
 偏見に晒され続けてきたオノ・ヨーコさんですが、その彼女の才能とも恋に落ち、矢面に立って彼女を守り続けたジョン・レノンという人物もやはり凄い人だったのだと改めて実感します。ジョン・レノンは「ぼくがこれまでに燃やした本の中でこれが一番偉大な本だ。」とウィットに富んだ最高の献辞をこの本に捧げています。
 わたしもあえて次のように言って、この文章を締め括りたいと思います。
「わたしがこれまでに燃やせなかった本の中でこれが一番偉大な本だ。」

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