只人素人句集『自由地在』

『春』

 春になると森羅万象は息を吹き返して語りかけてくるが、その言葉は花にまぎれて儚く散り去る。辛うじて花筵や花筏に残った言の葉の面影が句をなし、四季に応じて散りばめられる。

・誰も見ぬ山の麓の椿落つ
・満開の烏飛び立ち桜散る
・木の芽時世界を灯す街欅
・何処へやら来世への旅綿毛舞う
・菜の花や眩しさ映えぬ夢現
・梅恋し目白啄み頬染むる
・誰が為に愛を歌うや人来鳥
・車窓より紫雲英一瞥風を切る
・白つつじ夕闇に墜つ星の使者
・行かないでせめてあなたは恋雀
・藤棚を見上げし母子幸よあれ
・春雷に目を覚まされし春霞
・羽衣を纏いし風やジャスミン香
・巣に残す我が子心に燕交う

『夏』

 夏は繁栄と倦怠を世界に授ける。混乱の渦中で極端を志向しながら、森羅万象は愛を忘れ、愛を学ぶ。

・紫陽花や赤青野山美を競う
・向日葵の顔見て涙見つけたり
・黙々と入道雲や何想う
・滑らかな百日紅の焼けし肌
・傘開き地を見て探す梅雨の星
・短夜の夢にて逢いし人何処へ
・棘持たり白き花嫁薔薇香る
・風鈴の音色誘う雲の峰
・滝落つる熱き大地を穿たんと
・桐の花風に微笑む野の乙女
・山百合や炎天睨み地に薫れ
・月涼し花火の去りし黒き空
・噴水の届かぬ天に夏の夢
・荒祭り神輿は天地練り歩く

『秋』

 秋になると森羅万象は立ち止まって一息つく。これを休息と呼ぶことも休止と呼ぶこともできるかもしれない。いずれにしても秋は深まってゆく。

・鈴懸の大きな葉落ち秋高し
・誰点けむ野の灯火や柿光る
・吾亦紅野で恋に落つ地に果てり
・芒原風と巡るや過去未来 
・秋雨に濡れても二人手繋いで
・秋晴れに金木犀の澄み渡り
・秋桜散りはせずとも風に揺れ
・紅黄色山粧はむ白風や
・こぼれ萩野に落とされし風形見
・金柑や秋の小さな娘たち
・彼岸花川の流れを慰むる
・撫子を愛でし秋風何処へ吹く
・女郎花あなたを見つけ立ち去れず
・野分来て佇みし影吹き去れり

『冬』

 冬には森羅万象が凍てつき、魂は凍える。ここで終わるのか次があるのか、絶望と希望が止むを得ず心という名の山小屋で同居する。この小屋には他にも誰かが居る。

・凩のかさかさ心彷徨へり
・川縁の裸の榎逞しき
・空高く高くのぼれよ冴ゆる月
・山茶花を目印に道辿りをり
・百合鴎白く彩る空と海
・白鳥よ聞かせておくれ旅話
・凍空を薔薇の絵の具で塗り潰す
・枯草や役目を終えぬ空眺む
・蜜柑消え風染み入りて山眠る
・冬天に声響きその息白し
・煌煌と波打ち際の鴨の群れ
・白無垢や風花舞いし空に見ゆ
・星が降り雪となりけり雪明り
・天狼の遠吠え光り覚醒す

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