雲隠れ

 これから、ある女の子とある男の人についてみなさんにお話しします。
 ふたりは少しかわっています。夜は雲の上でねむります。そして朝目がさめると雲がふたりをふわっと町までおろしてくれます。それから一日を町ですごして、夕やけで雲がローズピンクにそまり始めるころにふたりは手をつないで空を見上げます。すきな雲を見つけておむかえをおねがいするためです。
 いつもふたりのすきな雲はふしぎと同じになります。手をつないでいるから同じになるのかもしれませんし、同じでないと雲におねがいがとどかないのかもしれませんが、とにかくいつも雲がふわっとおりてきてふたりを乗せて、そのまま太陽を追いかけるかのようにかなたへ消えてゆきます。しんじられないかもしれませんが、これは本当のことです。
 それからふたりには大切な女の人もいました。でも女の子がまだとても小さかったころにその女の人はなくなってしまいました。女の子はその女の人の顔をおぼえていませんが、いつもその女の人が雲になったような気がしていました。ですから夕方おむかえのためにすきな雲を見つける時はいつでも、その女の人を見つけるつもりで空を見上げています。
 夕方雲の上に帰るとふたりは、いっしょに楽しく美味しいおかしを作って、それを色いろな色のきれいな箱に入れておきます。次の日に町へ持ってゆくためです。ふたりはおかしを町の人びとに配るのがすきなのです。それはふたりの大きなよろこびです。
 このような仕度をしたうえで、朝がきてからふたりは町へおります。ふたりを乗せた雲はどこからともなく町の上空にあらわれると、ふたりが指さした町の大きな木のそばにおります。そこでふたりは雲からおりて、おかしの箱を手分けしてならべます。花だんのようにきれいに箱がならびますので、町の人びとがしぜんと集まってきます。すると男の人は、箱いっぱいの雲のおかしを町の人びとに配ります。男の人の配り方は手品みたいで、人びとが列をなしたりしなくても、気がつけばだれもがほぼ同じタイミングでおかしを手にすることが出来、そのうえ決して数が足りなくなるようなこともありません。女の子はいつも男の人のそばにいてそよ風みたいに手つだいながら、町の人びとのうれしそうな顔や男の人のまんぞくそうな様子をながめています。
 こんなふうにしておかしを全部配り終えると、ふたりは町をさんぽします。小さな花がさいているのを見つければ、男の人はそばにすわってその花を色えんぴつで紙にかきます。女の子も男の人のまねをして花をかきます。男の人のかいたものと女の子のかいたものは、同じ花をかいても様子がちがっていますが、どちらもその花らしくてきれいです。ふたりが花をかいていても、いつの間にか人びとがまわりに集まってきます。
 ふたりは花の他にも色いろなものをかきます。木や川や犬や猫や家や空、それからもちろんふたりの大すきな雲までかきます。ふたりのかく雲はふたりの大切な女の人みたいで、人びとはその女の人を知らないうえに、その雲がその女の人みたいだなんてこともわからないのですが、ふたりのかく雲をいつもとても気に入って、なかにはそれをいつまでもながめている人もいます。
 ふたりは人びとがかいてほしいというものもかきます。実はこれこそがふたりの一番すきなことです。町の人びとにたのまれた絵が出来上がると、人びとはその絵があまりにもすてきなのでどうしてもほしくなります。当たり前のようにふたりは人びとに絵をあげます。ふたりは人びとのために絵をかくのがすきなのでたくさんかきます。そしてひとつのこらず全部あげます。たのまれてかくのはとにかく楽しいことです。とりわけその人の顔をかいてほしいとたのまれると、ふたりも心がおどるのです。
 ふたりのかく顔にはふしぎとその人のよいところがあらわれていて、それを見たえがかれた人は、自分のことがもっとすきになるのです。そのうえ女の子のかく顔と男の人のかく顔は、同じ顔をかいてもどこかことなっていて、それでもどちらもすばらしいのです。ひとりの人間には、よいところがひとつだけではないということです。
 ふたりのかいた絵のお礼に、人びとも色えんぴつや紙や色いろなものをふたりにわたします。でも人びとから何もいただかなくても、もちろんふたりはだれにでもよろこんでかいて、その絵をその人にあげます。
 でも反対に、ふたりが絵をかいてもらったこともあります。ある絵の上手な人がお礼にふたりをいっしょに一まいの紙にかいてプレゼントしてくれたのです。ふたりは町のその絵かきさんがかいてくれた絵をとても気に入って大切にしています。これはふたりのたからものです。
 おかしや絵の他にもふたりがとてもすきなことがまだあります。それは歌うことです。男の人がたった今思いついたばかりのメロディーを歌い始めると、それに合わせて女の子もそのメロディーにハーモニーをつけます。たまたま大空で出会った二羽の鳥がならんでとぶような、そんなすてきな音楽になります。すると女の子は、それに思いつきの言葉をのせて歌い出します。男の人もすぐにその言葉で歌います。きれいな音楽にぴったりな言葉がのって、すてきな歌が町にひびきわたります。こうなるとすぐに人びとが集まってきて、その歌にじっと聞き入るのです。悲しいことや苦しいこともわすれて、どこか知らない遠い明るいところへつれて行ってくれるような歌です。歌が終わると、ふたりはちょっとてれたようにほほえんで、またどこへともなく歩いて行ってしまいます。
 こうやってふたりと町の人びとはよくいっしょにすごしているのですが、ふたりが町にいない日もあります。まず、空に雲ひとつなく青くすっきり晴れわたった日です。とてもよい天気なのにふたりは町にいません。ですから町の人びとは、まぶしい空の下でなんだかさびしさを感じてしまうのです。なんとなくふしぎな気持ちです。しかもこんな日にふたりがどこにいるのかだれも知らないのです。一度ある人がふたりに「雲が見えない青空いっぱいの日にはどこにいるの?」ときいたことがあります。ふたりは歌いおわった時と同じで、ちょっとてれたようにほほえむだけで何も言いませんでした。
 それから、空が雨雲にすっかりおおわれてしまって、雲が形なくのっぺりと広がっている日もそうです。雨の日は絵をかくための紙もおかしもぬれてしまいますので、ふたりはどこかにかくれて雨宿りしているのかもしれません。でもやはり、どこにいるのかはだれも知らないのです。こんな日には、さびしくてふたりをかたどったかのようなてるてるぼうずをのき先にかざる人もいます。
 そんなある日、ふたりはふわりと海岸におり立ちました。いつも雲の上からながめていた青くて深い空のような海で一度泳いでみたかったからです。ところが、空からはよくわからなかったのですが、海岸にはゴミがたくさんちらかっていました。海をただよったゴミが海岸にどっさりと打ち上げられていたのです。空からは何よりも美しく見えた海なのに、近くから見るとこんなにゴミだらけだったのでふたりはだまりこんでしまいました。女の子はなぜなのか、大切な女の人がこれを見たらきっと悲しむだろうと思いました。
 この海や海岸の有様をじっと見ていた男の人は、しばらくするとすわっていつものように絵をかき始めました。それは美しい海とゴミだらけの海岸でした。女の子も、いつもはちがう紙に自分の絵をかくのですが、この時は男の人のかいている同じ紙に、男の人を手つだうかのようにかいてゆきました。ふたりはちがう手をもったひとりの人のようになって一まいの絵をかきました。たくさんのゴミをひとつのこらずかきました。美しい海とちらかったゴミが一枚の絵の中にありました。
 この絵をかくのはいつもよりも時間がかかりました。かいている時のふたりは少しこわい目をしていました。一生けん命にかきました。絵の中の空には鳥たちもかきました。その鳥たちは悲しそうで、今にも空から落ちてしまいそうです。海の中にいる魚は見えないのでかきませんでしたが、この絵の美しい海の中で魚も苦しくておぼれてしまいそうなのは、絵を見ればだれでも感じることができます。それから海の中もゴミだらけであろうことも、絵を見ただけでまちがいありません。ふたりのかく絵はいつでもこのように、見えなくても感じさせてくれるものなのです。
 いつの間にか絵をかくふたりのまわりに人びとも集まっていました。ふたりの絵が出来上がると、その絵を見て人びとはぞっとしました。どういうわけか人びとは、こんなに海岸がゴミだらけだったことにこれまで気づいていなかったのです。ふたりの絵を見てはじめて気づいたのです。これまではゴミのことなど何も気にぜずに、まるでそれが当たり前であるかのように海岸で遊んだり、海で泳いだりしていたのです。つまり、たくさんのちらかったゴミの中で遊び、泳いでいたのです。
 絵をかき終わるとふたりは、どちらからともなくゴミを拾い始めました。ひとつひとつていねいに拾いました。そしてそれをひとつの所に集めました。これを見ていた人びとも、だれからともなくふたりを手つだい始めました。みんなで力を合わせたのでゴミがたくさん集まりました。ゴミの山は大きくなりました。これも作品のようでした。
 その日のうちにこのゴミの山を町のゴミを集める係の人が運んでくれて、町の決まりにしたがってかたづけてくれました。それでもまだ海の中にはゴミがたくさんあることでしょう。でも少しだけましになったのはまちがいありませんが、本当にきれいな海を取りもどすには、まだまだみんなの力がひつようなのです。
 次の日に、ふたりはきれいになった海と海岸をながめながらいっしょに一枚の紙にかきました。きのうからふたりはいっしょにひとつの絵をかくようになりました。その絵はみらいの海と海岸の様子でした。きれいになった海岸と海の絵は青空のように晴れ晴れとしています。鳥たちはもちろん、海の中にいて見えない魚たちのよろこびもつたわってきます。海岸は楽しむ人びとであふれ、わらい声がきらめいています。海でおよぐ人もまるで魚のようにぴちぴちしていて、きれいな人魚やかわいいイルカまでこの海に集まってきそうです。女の子は、よろこんでくれている大切な女の人のような雲もそっとかきそえました。
 人びとはこの絵を見て、やっぱりきれいな海がいい、と心のそこから思いました。このことをきっかけに、人びとはゴミのことについて真面目に考えるようになりました。
 また、こんなこともありました。ふたりがいつものように雲のおかしを配ったり、歌ったり、絵をかいたりしていると、どす黒い雨雲みたいにもわっとした顔の人があらわれて、ふたりを「ここにいるとびちょぬれにするぞ!」とおどしました。ふたりは何も言わずに手早くその人の顔をかいて、その人にあげました。えがかれた自分の顔を見てその人は少しとまどって「これがわたしか?」と言いました。女の子がにこっとうなずきました。するとその人もつられたようににっこりしました。そしてどこかへ行ってしまいました。
 それからほどないある早朝のこと、この町にとつぜんミサイルがたくさんとんできて、いたる所でばく発しました。なぜこんなことが起きたのかだれにもわかりませんでしたが、これも本当のことでした。この時ふたりはまだ雲の上にいて、下の方の町での大きなばく発の音で目をさましました。町を見ると赤いほのおがあばれ回り、黒いけむりがもうもうと町を飲みこんでいます。人びとのなきさけぶ声がかみなりのように鳴り、気がつけば雲の上のふたりのすぐそばをミサイルがビュービューとんで町へ落ちてゆきます。ふたりは雲にたのんですぐに町へおりました。
 町はたいへんなことになっていました。だれもがどうしたらよいのかわからずにあちこちにげまどっています。血を流している人もたくさんいます。動かずに道に横たわっている人もたくさんいます。町の大通りには、大きな岩のようなせん車やおこった顔をしてぶきを持ったへいしがたくさん進んでいます。へいしは町の人びとをつかまえてどなったりなぐったり、ころしたりしています。
 ふたりは心がごわごわしてきて、それが大きな赤い血のかたまりのようになって、この町にいてはじめて苦しくてばく発しそうになりました。女の子はいても立ってもいられずに、目の前で子どもにらんぼうをしているへいしにとびかかりました。ところがすぐにはねとばされてしまいました。さらにはおさえつけられてなぐられそうになりましたが、男の人が風のようにかけつけて女の子を助け出し、へいしをカッと見つめました。するとそのへいしはなぜだか力がぬけたようにらんぼうをやめました。
 幸い女の子にけがはありませんでした。ふたりはそのまま手をつないだ大きな二本の木のようにいっしょに立ち、この町の様子をしばらく見つめました。自分たちでこの大きならんぼうを今すぐ止められないことのくやしさにたえているようでした。そのかわりに目の前で起こっているおそろしい出来事の数かずをしっかりと目にやきつけているようでした。こうしている間にも町はめちゃくちゃになり、ミサイルやせん車のいきおい、へいしのらんぼうもさらにはげしくなってゆきました。それでもふたりは立ちつづけていました。ただ、このままではふたりの命もあぶない、と町の人びとが気にかけてふたりをどうにかシェルターへひなんさせました。
 シェルターへ入ると、ふたりはまるでばく発したかのようなはげしさで絵をかき始めました。一まいの紙の上でふたりの色えんぴつがすばやくしっかりと動きます。見る見るうちに何かが形と色をなしてゆきます。ばく発の音にも外のほのおにもけむりにも負けません。ふたりは一言もしゃべりませんがないています。でも手の動きは決して止まりません。絵は一まいだけでなく、次つぎと何まいも出来上がってゆきます。その間にも外ではミサイルがふり注ぎ、ばく発の音がひびきわたります。へいしたちもらんぼうをやめていません。それでも絵はどんどん出来上がってゆきます。ふたりはまだまだ手を止めません。
 こうしてふたりはシェルターの中でしばらく何まいもかきつづけました。かなりのまい数をかききって紙がなくなってしまってから、ようやくかくのをやめました。そしてわれに返ったかのようにシェルターの中の人びとを見わたしました。このシェルターは地下の少し深い所にあるので地上にくらべて安全でした。でも人びとの顔はきょうふとふあんで青ざめ、つかれきってぐったりしていました。
 ふたりは何も言わずに、どこからともなく雲のおかしを取り出すと人びとに配りました。それを食べて人びとは少し元気になりました。その様子をたしかめると、女の子が男の人と手をつないでしずかに歌い出しました。その歌はこの町に昔からつたわる歌でした。もの悲しいメロディーと言葉なのですが、どこか人間をゆう気づけるものがありました。女の子のほうが昔からのメロディーを歌い、男の人がそのメロディーに合わせてハーモニーをつけました。ふたりの声はダイアモンドのように強くてかがやいていました。その歌声に耳をすましていたシェルターの中の人びとも、だれからともなく手をつなぎ合ってふたりといっしょに歌い出し、それはやがてばく発の音をかき消してしまうほどの大きな歌声になりました。ふたりをふくめた全員の手がつながり、ゆう気ときぼうがまき起こって、人びとはたとえようもなく強くなりました。
 歌い終わると、男の人がはじめて町の人びとに語りかけました。
「とつぜんこのおそろしいことが起こりました。となりの国が自分勝手にこの町の全てをうばおうとしているようです。わたしとこの女の子はここでいっしょに何まいもの絵をかきました。これらの絵をふたりでとなりの国へとどけてきます。絵を見たらとなりの国はもうこんなことをやめるはずです。それから決してわすれないでいただきたいことがあります。それは、みなさんがとても強い人びとだということです。みなさんはまちがいなく、強い人びとの集まりであるのです。ここにいられるだけですでにじゅうぶんに強いのです。ですから自分をだきしめてほこらしく思ってください。そしておたがいをだきしめてください。おたがいをなみだでぬらしても、こわくてふるえ合ってもいいのです。それすらもほこりに思ってください。それも強さのあかしなのですから。わたしとこの女の子はあなたたちをほこりに思っています。わたしたちはこの出来事をいっしょにぜったいに乗りこえます。」
 そう言うとふたりは絵を持ってシェルターからとび出しました。ところがその直後、シェルターのすぐ外で大きなばく発の音がとどろきました。シェルターの中も地しんのようにゆれました。そのまましばらく外ではばく発がつづき、人びとはかたくなったままふるえていました。そうしながらもだれもが、ふたりのことが気がかりで何度も顔を見合わせました。
 何時間もたってようやくばく発がおさまってから、人びとはおそるおそる外へ出てみました。あたり一面がれきの山です。これも人間の作品です。町の人びとはひっしになってふたりをさがしました。でもふたりを見つけることは出来ませんでした。ただ、女の子のはいていた空色のくつがかたほう見つかっただけでした。このくつは雲の上も歩けそうな、空のような美しい色をしていたのでだれもがおぼえていたのです。
 このことのあった夜ふたりは、らんぼうをしてきたとなりの国の人びとのゆめの中にあらわれました。全てのとなりの国の人びとがふたりのゆめを見ました。ゆめの中でふたりは、自分たちがかいた何まいもの絵をまるでえい画のように見せました。それらの絵は、本当に起こっていたことと同じぐらいおそろしさを感じさせるものでした。町がこわされて人びとがころされる様子はとてもおそろしくて、同じぐらいに悲しいものでした。このゆめを見たとなりの国の人びとは、これは自分たちの国が何も悪くない他の国に対して勝手にやっていることだ、とはっきり感じました。このゆめを見ていただれもが、こんなことはすぐにやめなければいけない、と大きなせきにんを感じました。そして何かふしぎなあつい気持ちが心にわき上がってきました。
 ゆめを見たとなりの国の人びとは目をさますと、すぐに自分の国のらんぼうをやめさせなければ、と感じていても立ってもいられない気分になっていました。
 その日の夕方ごろから、人びとはだれからともなくらんぼうを命じた王様のもとへ向かいました。そしてだれが言いだしたわけでもないのにめいめいが灯りを手にしていました。ただ、たとえ灯りを手にしていなかったとしても、その人の存在そのものが灯りでした。
 人びとの数は、さいしょは消えかかる星のようにぼんやりとぽつぽつとしたものでしたが、いつの間にかきらきらとしながら集まって大きな流れとなり、まるで地上の天の川のように王様のもとへと注ぎこみました。
 集まった人びとはただしずかにそこにいました。星空のようにしずかでした。まるで宇宙全体が言葉なく何かをうったえているかのようでした。
 人びとを感じて王様が外へ出てきました。そしてとても大きいなき声で言いました。
「きのうの夜わたしはふしぎなゆめを見た。そのゆめを見て思った。もうとなりの国にらんぼうをするのはやめる。となりの国の人びとにあやまって、こわしたものも全てべんしょうする。ころしてしまった人びとは、もうしわけない、もうどうすることも出来ない。わたしは何てひどいことをしてしまったのだろう。わたしは王様をやめてろうやに入る。みなさん、わたしは大きなあやまちをおかした。わたしはこわくないものをこわがっていただけだった。たとえゆるされなくても、わたしは人生のさいごのさいごまでつみをつぐなう。」
 集まっていた人びとはしずかなままでした。だれも何も言えませんでした。
 こうしてその夜のうちにらんぼうは終わりました。それから大雨になりました。空一面の重い雲からたくさんの大つぶの雨が落ちてきました。
 らんぼうが終わった夜、あのふたりのいた町の全ての人びともふしぎなゆめを見ました。女の子と男の人がいっしょに、今回のらんぼうでなくなった多くの人びとの顔をひとりずつ、ひとりのこらずかいてくれているのです。たくさんの大切な人の顔です。どの顔もその人が一番幸せだった時の様子で、のこされた人びとにしっかりとぬくもりのある声までとどいてきます。そのえがかれた人びとの顔を見ると、のこされた人びとはなみだがあふれて、なみだがなんだかきれいになって、少し気もちが楽になりました。
 なくなった人びとをかき終えると、ふたりはたおたがいの顔を見ながら、おたがいの顔をかき合いました。出来上がったふたりの顔の絵をふたりが同時に見せてくれました。男の人がかいた女の子の顔、女の子がかいた男の人の顔です。どちらも町の人びとがよく知っている大すきな顔です。町の人びとはふたりの絵を見て、さびしくて、なぜか幸せな気もちになりました。ふたりはしばらくえがかれた顔といっしょにほほえんでいました。
 それから今度はふたりで一まいの紙に何かを一生けん命にかき始めました。ふたりはしんけんでしたが、どことなくうれしそうでもありました。
 絵が出来上がると、ふたりはそれもみんなに見せてくれました。その絵には、らんぼうによってめちゃくちゃになってしまった町がみんなの力で立ち直った後の、新たに生まれかわったすがたがえがき出されていました。この町の、そう遠くないみらいの様子で、光があふれ出していました。この絵を見ているだけで町の人びとはゆう気ときぼうがわいてきて、また新しく始めようという気持ちがわきあ上がってきました。そして、この絵のイメージを心にいだいて生きつづけてゆこう、とみんながゆめの中でちかい合いました。
 町の人びとは目をさますと、もう町でふたりを見かけることはないであろうことにだれもが気づいていました。町の人びとは、だれが言ったわけでもないのに、ふたりが雲になったように感じていました。ですからふとした時に空を見上げてはすきな雲を見つけて、ふたりが見守ってくれている、と思って安らぐことが出来ました。それと同時に、なくなった自分の大切な人びとも雲になって新しい生き方を楽しんでくれている、と感じてなみだをふくことが出来ました。たとえ雲ひとつない青空だったとしても、目に映らない雲がたしかにそこにはあって、それこそがいちばん大切で大好きな雲だとだれもがわかっていました。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?