夢を見るとき、目を閉じる

 かってウクライナを旅した想い出を綴りたい。たしかウクライナへはモスクワからベルゴロドを経由してハルキウを通過し、黒海の北岸にある半島クルィムのシンフェロポリまで一気に鉄道で行ったように記憶している。しかしこの記憶は正確ではないかもしれない。ただ、車窓から見た一面の眩しいひまわり畑とドニプロ川の青空のような水光は鮮明に記憶している。ウクライナは光の国だった。
 シンフェロポリからヤルタまではいわゆる白タクで疾走してもらった。高速道路のような道を猛スピードで駆け抜けるなか、時折道路わきに少年が立っていてラベンダーの大きな花束を道路に向けて掲げている。自宅の庭で採れたラベンダーなのだろうか、ドライバーたちにヒッチハイクでもするかのように売ろうとしていたのだ。風にシャツをはためかせて、どこか照れた様子で口元を綻ばせている。猛スピードの車とラベンダーを掲げる少年のコントラスト。ぶっきらぼうなだれかが夢を見ているみたいだった。しかしクルィムは2014年にロシアに一方的に編入された。猛スピードで無言で運転していた運転手は目指すところを失い、ラベンダーを掲げていた少年たちの大きな花束は掠奪された。
 オデーサもとても印象に残っている。オデーサ出身のユダヤ系の作家イサーク・バーベリの『オデッサ物語』に憧れてこの街を訪れた。ある時街を散策していてたまたま目をあげると、真夏故の暑さのあまりか、上半身裸の女性が豊満な乳房を汗で光らせながら二階の窓辺で洗濯物を干していた。肉感的でなぜか文学的だった。とても驚いたのと同時にイサーク・バーベリの描いたオデーサがこの情景に凝縮されていると直感した。これこそがわたしの印象の、そしてバーベリの描いたオデーサだった。また、同じく散策中に偶然、光を失ったユダヤ教のシナゴークらしき建物にも出くわした。閉ざされた門の錆びたタビテの星が今も瞼に焼き付いている。かってはユダヤ系の人々の多い街だったのだ。そしてわたしが最も憧れている街でもある。過去世でユダヤ人としてこの街に住んでいたことがあるような気がする。街路樹の多い、光と影のコントラストの美しい港街で、どこか無国籍でノスタルジックな雰囲気も漂わせている。そう言えば、木陰で涼みながらどこへともなく眼差しをおくるロマ民族の艶やかな女性たちもいた。それから、酒に酔っていたのか昼下がりから肩を組んで大声で歌う水兵たち。こんな憧憬の街オデーサが今、ロシアからのミサイル攻撃にさらされている。わたしが一期一会で見かけたあの人たちはみんな無事だろうか?
 ユダヤ系の作家ヨーゼフ・ロートの『ウクライナ・ロシア紀行』にウクライナの魅力が彼らしい絶妙な比喩を駆使した詩情をもって描かれている。少し引用してみよう。
 "まだ鉄道を見たことがないウクライナの農民の一人が私にこう言ったのを覚えています。「鉄道を使うあなたよりも私のほうが到着するのはおそいが、そもそもあなたが目指すところに私は行こうと思わない」。小さな茶色い顔の男でした。話すとき、目を閉じるのです。まるで、話すときに何かを見るのはもったいないことであるかのように。"*
 ヨーゼフ・ロートは現在のウクライナのリヴィウ州にあるブロディの出身であるがドイツ語で書いた。因みにイサーク・バーベリはロシア語で書いた。そう言えばキーウではウクライナの国民的詩人であるタラス・シェフチェンコの記念博物館も訪ねた。彼はウクライナ語を詩によって守った。彼の詩を読んだことはなかったしウクライナ語も全くわからなかったが、ひとつだけ暗記していたウクライナ語の感謝の言葉「Дякую(ディヤークユ)」を、記念博物館の女性に帰り際にこちらから思い切って発してみたところ、とても喜んでくれたのは憶えている。
 ヨーゼフ・ロートはナチスの迫害から逃れながら最終的にパリで没した。イサーク・バーベリのほうはスターリン圧政下の粛清の嵐のさなか銃殺された。ふたりとも1894年生まれ且つ1939〜1940年頃に亡くなっておりほとんど同時代を共有した。苛酷な時代だった。彼らふたりの生と死は、現在まで続くウクライナという国の複雑さと混迷にどこかでしっかりとつながっているような気がする。
 さて、現在苦境にあるウクライナが目指すところはどこなのだろうか?わたしたちが目指すところとウクライナが目指すところは同じなのだろうか?ロシアの侵略行為で亡くなったウクライナの人々はどこを目指していたのだろうか?そして人類はこれからどこを目指そうとするのだろうか?
 夢を見るとき、現実を見るのはもったいないのでわたしは目を閉じる。しかし朝日がのぼれば自然と目は開く。ウクライナでの旅の列車内でも、朝日に起こされて車窓から外を眺めたら朝靄のなかをシュバシコウが羽ばたいていた。その姿はだれもが目指すところを暗示しているような気がする。

*ヨーゼフ・ロート著 ヤン・ビュルガー編 長谷川圭訳『ウクライナ・ロシア紀行』より引用。
 

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?