レレカ

 ウクライナ語でЛЕЛЕКА(レレカ)と呼ばれている鳥がいます。日本語ではシュバシコウ(朱嘴鸛)です。コウノトリ(幸の鳥)属の鳥類ですので、日本でコウノトリとして知られている鳥と大変よく似ています。シュバシコウとコウノトリの大きな違いは嘴の色です。シュバシコウはその名のとおり朱色の嘴をしています。コウノトリのそれは黒色です。
 レレカはその主な生息地であるヨーロッパでは幸運の鳥とされています。屋根や塔や樹上などに巣を設けるのですが、レレカが営巣した家には幸運が訪れる、また、嘴で赤ちゃんを運んできてくれるとも言われています。
 レレカはそんな幸運の鳥なのです。ところがある時期からウクライナの大空をミサイルや砲弾が飛び交うようになり、レレカたちは皆そのことに恐怖を感じると同時に"一体この危ないものはどこから飛んでくるのですか?わたしたちの使命は幸せを運ぶことなのに、不幸を運んできてしまったのでしょうか?"と困惑し、疑問を抱くようになっていました。
 人間や動物が逃げ惑い、草木は薙ぎ倒され、大地の至る所に爆弾による大きな穴が叫びを掻き消されたかのように口を開けています。爆発の煙で大気は暗く汚染され、どこを眺めても涙が枯れたように荒廃が広がっています。
 レレカたちも様々な被害にあっていました。ただ飛ぶことができたのである程度災禍を避けることができ、他の生物に比べて痛手は比較的少なめにおさまっていました。そうは言っても心身共に酷く疲弊し、決して楽な毎日ではありませんでした。
 そこでレレカたちはウクライナ全土で起こっているこの状況をつぶさに観察してみました。それから皆で話し合いました。そうしてある結論に達しました。"北や東の方から不穏な人間たちが大挙してこちらの大地に攻め込んできています。危ないものもそちらの方やその不穏な人間たちから飛んできています。"
 レレカたちは更に言いました。"この状況は幸運の種族であるわたしたちにとって大変不本意です。北や東へ飛んでいって不穏な人間たちに働きかけて、この状況を改善しましょう。そのためのとっておきの策があります。それは、その人間たちに赤ちゃんを運ぶことです。"
 こうしてレレカたちは大群をなしてミサイルをかいくぐりながら北や東へと向かいました。この飛行は、大空の地雷原を突き進むかのような非常に危険で困難なものでした。ですから途中で空から命が落ちてしまうレレカもいました。でもレレカたちは決して諦めませんでした。
 レレカたちはお互いに助け合いました。傷ついたレレカがいれば他の者たちが嘴や羽で支え、ときには背負いながら飛び続けました。そうやって苦難の末にどうにか目的の地に辿り着きました。
 どのレレカも汚れて疲労困憊していました。しかし最期の力を振り絞り、その地の大統領は勿論のこと、その取り巻きの政治家たちや富豪たち、軍関係者、また民衆へとせっせと見えない赤ちゃんを運びました。レレカたちには、赤ちゃんを届けるべき人間が大空から一目瞭然だったのです。
 レレカたちがこんなにも美しく飛び交い舞ったことはかってありませんでした。洗練された幾何学的な飛翔が多彩な光彩を自由自在に描きつつ、完璧に任務を遂行していました。その崇高とも言える姿を目にして、その地の人々はなにかを感じ始めているようでした。
 見えない赤ちゃんは、そういった人々の心にしっかりと届けられ、戸惑いのなかで抱かれました。そしてそこで一刻も早く大きく成長する必要がありました。
 赤ちゃんを授かった人々は、その赤ちゃんのおかげで明晰な思考と正常な感覚、あたたかい感情が芽生え、自分はとても大切なものを授かり、これからそれを丁寧にできるだけ早く養い育てたいと感じました。
 それに加えて、自分たちは既に十分に満ち足りていて、他の人々や他の国々から奪う必要はまったくないということにも気づきました。またそれと同時に、他の人々や他の国々が自分たちのものを奪うことなどもあり得ないと確信し、むしろ自らすすんで与えたい気持ちになりました。そして自分たちで勝手に疑いや恐怖に囚われて虚勢を張っていたことが、どんなにか無意味で無駄で失礼なことであったのか、漸く感じることができるようになりました。
 端的に言って、赤ちゃんを心に抱いた人々は、どんな物もどんな事もどんな人も大切に思えるようになったのです。とりわけ"命"というものの重大さについて天啓に打たれたように実感することができるようになりました。こんなにも大切なことを忘れていた自分たちに怒りすら覚えたほどです。
 こうして赤ちゃんたちは驚くほどすぐにすくすくと成長しました。それらは目には見えなくとも確かに存在していました。それらは、実のところ"平和"でした。つまりレレカたちは、人間がそれを自分たちで大切に育てられるように、その過程を経て人間自身も成長できるように"平和"の赤ちゃんを運んだのです。
 このような経緯で不穏な人間たちは侵略行為をすぐにきっぱりとやめました。ウクライナに一方的に踏み込み、破壊活動と残虐行為で真っ赤に手を染めていた不穏な兵士たちにも寸分違わず平和は伝播しました。平和が青空のように広がりました。愛が一面のひまわり畑のように満開になりました。命令や強制や嘘、侵略や殺戮が完全に消滅してすっかり晴れ渡りました。
 戻ってきた本当の青空を見上げて、レレカたちはやっと少し安心することができました。レレカたちはある意味だれにも知られずに偉大な仕事をやり遂げました。どのレレカも無名の天使のようでした。老若男女問わずすべてのレレカがこの作戦に自ら志願して参加しました。全員の力がどうしても必要だったことをどのレレカも当然のごとく理解していたからです。
 ただ残念なことに、多くのレレカはウクライナに戻ってくることができませんでした。無事に帰還したレレカはほんの僅かでした。でもその帰らぬレレカたちの心意気は、いつまでもウクライナの人々の気概を人知れずしっかりと支えてくれます。そして生還したレレカたちは子孫を繁栄させながら、ウクライナの人々の心のなかで自由に逞しく舞い続けます。なぜならレレカたちは、その大空を心の底から愛しているからです。

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