『金子みすゞ童謡全集』著者/金子みすゞ 監修/矢崎節夫 JULA出版局【わたしの好きな本】

 金子みすゞさんについてはすでに多くの人々がその素晴らしさについて語ってくれています。有名ないくつかの詩についてはやはり多くの人々が様々な場面でふれていて、それぞれの感想や感動をもっていることと思います。
 今回ご紹介する本には、金子みすゞさんの綴った五百十二篇のすべての詩が網羅されています。国語辞書ほどの厚みや大きさがありますが"一家に一冊"と言っても過言ではない価値と存在感のある本です。
 すでに多くの人々が語ってくれているようなことをここで繰り返すことはなるべく避けつつ、表立って紹介されることの少ない詩を一篇だけ、それも特に個人的に気に入っているものを挙げて、少しだけ語らせてください。
 
『魚売りの小母さんに』

魚売りさん、
あっち向いてね、
いま、あたし、
花を挿すのよ、
さくらの花を。

だって小母さん、あなたの髪にゃ、
花かんざしも
星のよなピンも、
なんにもないもの、さびしいもの。

ほうら、小母さん、
あなたの髪に、
あのお芝居のお姫さまの、
かんざしよりかきれいな花が、
山のさくらが咲きました。

魚売りさん、
こっち向いてね、
いま、あたし、
花を挿したの、
さくらの花を。

 金子みすゞさんの詩のもつ優しさについては誰もが言及します。しかしその優しさと同じ特質を他の詩人に探しても、見つけることは少し難しいのです。
 詩人の多くは、斯く言うわたしも含めて基本的に自分のことだけを喋りたい人たちです。他者に手を差しのべたり、声をかけたりといった状況を詩に昇華させようという衝動はほとんど見受けられません。
 一方で金子みすゞさんは眼差しが自分だけでなく他者へと向けられることの多い稀有な詩人です。それは彼女の詩を読めば痛いほどよくわかります。本当に痛いほどに伝わってきます。そしてその眼差しがご自分に向けられたときに醸しだされる切なさには、この先行き場のない人をどうにか慰めようとする試みのようなものが感じられます。
 また、金子みすゞさんは、詩という小さな物語のなかに大きな世界を凝縮させることのできる詩人でした。つまり「さうして、さうして、神さまは、小ちやな蜂のなかに。」を詩において体現しているのです。
 それから学業優秀な方だったとも伝わっていますが、柔軟でときに思わぬ展開をみせる発想の豊かさ、詩の落とし所や仕上げの上手さを考慮すれば、理数系のよくできる人であっただろうことも想像できます。そのうえ言葉のリズムや韻のようなものへの心配りも随所に見られ、身体のなかに独特の包み込むようなあたたかいリズムをもっていた人だろうと感じます。それらを平易な言葉と小さなスペースで実現させてしまうのです。
 金子みすゞさんの詩のなかでよく見受けられる「だって」や「いいえ」という言葉の放つ温もり。これらの言葉にふれると、この人と会って話してみたかった、とわたしはつくづく感じてさびしくなって、夕顔のようにだんだん下をむいてしまいます。
 上述した『魚売りの小母さんに』で特にわたしが感嘆してしまう箇所があります。冒頭で「魚売りさん、あっち向いてね、」と少女のように無邪気に言って花を挿し、終盤で「魚売りさん、こっち向いてね、」と戸惑う小母さんを振り向かせるさりげなくもチャーミングな演出。この小さな動きにこの詩の深さが込められています。
 たしかに金子みすゞさんは自ら死を選びました。それはもう変えられない事実です。しかしだからと言って、もし金子みすゞさんの詩をそれを理由に読まなかったり拒否してしまう人がいたとしたら、それはとてもとてももったいないことです。
 「詩」と「死」という漢字は同音です。勝手ながら金子みすゞさん流にわたしなりに言わせてもらえば、詩も死も「かみさまがおつくりになったもの」です。金子みすゞさんの死は天命だったのだと確信しています。

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