私もユダヤ人としてここにいる

 私はイスラエルに深いシンパシーを以前からずっと感じている。それはこれからも変わらない。私は過去世で何度もユダヤ人であったような気がしているし、むしろ今たまたま、今回だけ日本人なのではないかと思っているぐらいだ。私の魂の家族も故郷もユダヤ的な何処かだと強く感じてもいる。イスラエルを丸ごと遠くにいる家族のように勝手に感じている。何故こうなのかはよくわからない。
 わたしは今感覚的にイスラエルについて語っており、また実務能力や行動力に著しく欠ける社会不適応な人間でもあるので、昨今のハマスによるイスラエルへのテロリズムや長年にわたるかの地での問題について、具体的な解決策を提示できるような能力もない。
 唐突だがこのあたりでひとつユダヤジョークを紹介してみよう。

『寄付金の分配』
カトリックの神父と、プロテスタントの牧師と、ラビが三人で、教会とシナゴークで集めた寄付金を、どう分配するかについて話していた。
 寄付金の一部は慈善事業に回され、一部は神父や、牧師や、ラビの生活費にとっておかれるのである。
「私は地上に丸い輪をかいておき、集まったお金を全部空に向かって投げます。そして丸い円の外に落ちたお金は慈善事業に、円のなかに落ちたお金は私が自分でとっておきます」
 まず神父が言った。
「ああ、そうですか。私も同じようなことをしていますよ」
とプロテスタントの牧師が驚いて、言った。
「ただ、私は地上に線を引いておいて、お金を空に投げ、左側に落ちたお金は慈善事業に回し、右側に落ちたお金を私がとっておくのです。これは何事も神のご意思ですな」
そう牧師が言うと、カトリックの神父は深くうなずいた。
「ところで、あなたはどうなさるのですか?」
二人は、ラビにきいた。
「私はやはりみなさんと同じように、集まったお金を全部空に向かって投げます。そうすると、慈善に必要なものは神が自らとられ、私に与えてくださるお金は全部地上に落ちてくるわけです」*

 ジョークはここで終わっているが、このジョークでは登場しないイスラム教の指導者だったら寄付金をどのようにするだろうか?
 話をイスラエルに戻そう。あなたたちユダヤの民はいつもこのジョークのように、笑いをともなうような思わぬ発想で諸々の問題を解決し、世界をさりげなく牽引してきた。しかしそうは言っても現在の状況においては笑っている場合ではないし、笑えたとしても何の解決にもならないのも確かだ。ただひとつ重要なことは、笑いは恐怖の対局にあるということである。あなたたちは対岸に立てる人々だ。対岸に立って逆の視点から客観的に状況を展望できる人々だ。反対から見て自分たちを笑える人々だ。あなたたちの笑いには常に辛苦に裏打ちされた深い叡智が脈打っており、いつも違う道を指し示してくれるのだ。
 今こそあなたたちのジョークで問題を解決する時なのではないだろうか。わたしは真面目に言っている。テロや侵略に関わる問題を「まさかこんなに素敵な解決方法があったとは!」と世界をあっと言わせて欲しい。当事者同士も世界中も納得するような解決策で皆を笑わせて欲しい。あなたたちなら絶対に出来る。あなたたちイスラエルの人々が、ユダヤの民がお手本を示し、この後の世界がそれに続いてゆけるように。
 あの未曾有のショアーを経験した後では、たとえ大きな痛みと恨みをともなったとしても、イスラエルを建国するしか道はなかったであろう。あなたたちの言葉に「エインブレラ(そうするしかかなったんだ)」というものがある。パレスチナの人々のことを考えれば勿論色々思うところは当然あっても、やはりそうするしかなかったんだと思う。このことはきっとあの時代を直に経験した人にしか理解できないであろう。
 ショアーを知らない人が大多数の現代の地球において、あなたたちがほぼ一方的に加害者にされている。ハマスのテロ行為が世界によって狡賢く有耶無耶にされ、いつの間にかパレスチナ対イスラエルという構図だけが浮き彫りにされている。可哀想なパレスチナを虐殺する巨悪のイスラエルという印象操作が誇大に為され、反ユダヤ的と言ってよい状況が醸成されている。
 イスラムの教義がどんなものかはわたしには全くわからないが、無関係の人々を巻き添えにするような自爆テロが魂の救済として称賛されるのは、それが本当に信望すべき教義として掲げられているのなら、それは神の本来の言葉ではなく聞き間違えだったと断言出来る。また、イスラム同胞という理由だけで事件に直接関係のないグループが呼応してテロに加勢したり、他の場所で状況撹乱のために怒りを煽り攻撃を勃発させたりするのもいただけない。君たちは無関係であって無意味に無駄に連動して加勢する必要は全くないのだから静かにしていなさい、と良識的な人なら思うであろう。ジハードという概念や行為には首を傾げざるを得ない。神が本当にそんなことを望んでいるとはどうしても思えないのだ。
 かってマルティン・ブーバーが紹介したハシディズムの説話にでてくるような、慎ましく温かくユーモラスで敬虔なユダヤ教徒が実在した。しかし一方でそのお人好しぶりがショアーを招いた面も否めないのかもしれない。だからこそあなたたちイスラエルの人々は強くなる必要を心の底から感じたのだろう。
 かってのショアーにおいて世界は助けてくれなかった。それだけでなく拒絶と無視でナチスに加担した。あなたたちはこの経験から自分の身は自分で守るしかない、と固く誓い合ったのだ。そう、あなたたちはいつでもどんな時代においても自分たちでどうにかするしかなかった。たとえ全方位を武力で取り巻かれても、あなたたちはアブラハムのようにそこに立ち続けて交渉することを選んだのだ。
 だからこそ今、あなたたちの他を圧倒する叡智とユーモアの精神を発揮して、人類をまた一段上のステージへと引き上げるような素晴らしい解決策を見出して欲しい。あなたたちの頭と心のなかには、誰にも奪えない、何処にも持ち運ぶことの出来る豊かな財産がある。長年にわたってシャバットという見えない花嫁を迎え入れ続けてきたように、今こそシャロームという最高の花嫁を迎え入れて欲しい。

*『ユダヤ・ジョーク集』ラビ・M・トケイヤー著 加瀬英明訳

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