去年の手紙

(新美南吉の『去年の木』をオマージュした作品)

 かって小鳥が、ランプの火になった木に歌って聞かせて、それからどこかへ飛んで行ってしまってからもう何年もが過ぎ去りました。『去年の木』の根っこもおそらく残ってはいないでしょう。それ以降も文明の発展にともなってさらに多くの木が斧で打ちたおされ、多くの火が灯され、多くの小鳥が歌っては飛び去りました。
 そして多くのランプの火はいつからか多くの電灯にとって変わりました。しかし大昔には電灯はもちろんのことランプの灯りさえなく、星灯りや月灯りをたよりにして人間は暗い夜を見つめていたのです。
 さらに言えば、火を灯すためのマッチすら現代ではライターにとって変わられましたし、ライター以外の方法で火をおこすこともいくらでも出来ますので、火は木と同じように軽視され、忘れ去られようとしているのです。
 大昔や現代なら、時代がちがえば、あの木はマッチになるために斧で打ちたおされることはなかったかもしれません。木の寿命を考えれば、あの木は今もまだ生きていたかもしれないのです。しかし実際のところ「さよなら。また来年きて、歌をきかせてください。」という言葉を最後に、あの木が何を言い、何を感じたのかをわたしたちは知りません。「ランプの火がゆらゆらとゆらめいて、こころからよろこんでいるようにみえました。」という小鳥の証言のようなものがあるのみなのです。
 ところが最近になってある事実が明らかになりました。あの木が斧で打ちたおされる直前に木こりにたくした小鳥への手紙が、木こりの子孫のゴンさんの蔵で発見されたのです。その手紙の内容を初めてここでみなさんにお目にかけようと思います。それは以下の通りです。

前略 小鳥さん、あなたとなかよしの木です。暖かい南の方では楽しく過ごせましたか?こちらに戻ってから羽を十分に休めることは出来ましたか?新しい歌はどんなふうでしょうか?
 小鳥さんがこの手紙を読んでくれているころには、わたしはもうここにはいないでしょう。でも他の場所で、他の姿でまた小鳥さんと会えるかもしれません。
 小鳥さんと過ごした楽しく美しい日々はわたしの実になり花になりました。小鳥さんが歌ってくれる歌はわたしを南の方へ連れて行ってくれました。小鳥さんの歌を聞きながら、わたしは小鳥さんといっしょに南の空を羽ばたいていました。小鳥さんの歌声のような明るくすみわたった南の空を、わたしは葉を羽にして風にそよぐように旋回しました。南の木々が空のわたしを見上げで目を丸くするのがわたしには楽しくてしょうがありませんでした。
 わたしは小鳥さんの小さな可愛い足が優しくわたしの枝にのっている感じもよく覚えています。わたしたちはあのころは本当に直にふれ合うことが出来ていました。いつまでもあの日が続くことを、また次の春に会えることをいつも願っていました。でもその願いはちがうかたちでしか実現出来そうにありません。
 わたしはもうすぐ斧で打ちたおされます。わたしは自分のことだけでなく、これから先の数十年、数百年で人間たちがわたしの仲間をむやみに必要以上に打ちたおすのではないかと心配しています。わたしたち木はとても長生きですから、今わたしの周囲にいる仲間たちが数百年後にどうなっているのか、わたしは気がかりで張りさけそうです。
 たしかに人間たちがわたしたちを必要としていることは理解しています。わたしたち木はそれを受け入れています。そうは言っても受け入れることはそう簡単なことではありません。理解することと受け入れることの間に勇気がなくてはなりません。勇木と言ってもよいかもしれません。打ちたおされる時の痛みや苦しみにはかりしれないものがあるのです。この時のわたしたちのさけび声は小鳥さんたちのきれいな歌をもかき消してしまうかもしれないのです。
 わたしは人間よりも背が高いので人間たちよりもさらに遠くの未来まで見わたすことができます。いつか木がむやみに打ちたおされることもなくなり、小鳥さんたちも安心して自由に気持ち良く木々をわたり、さえずれる時代が必ずきます。そのころにまた木と小鳥として、あなたと出会える日を夢見ています。わたしたちは姿を変えながらも永遠に生き続け、回り回ってまた今と同じふたりの姿に戻れるのかもしれないのです。
 いよいよわたしは斧で打ちたおされます。それから谷のほうへ持っていかれ、工場の中で細かく切り刻まれて、マッチになってあっちの村のある女の子に売られます。先程も言ったようにわたしには未来が見えます。小鳥さん、マッチは燃えてしまいますが、マッチの灯した火がランプに灯っていますので、去年の歌を火になったわたしに聞かせてください。あなたならその火がわたしであると実感出来るはずです。そして願わくば、その火が消し去られるまで、燃え尽きるまでそこから飛び去らないでください……

 ここで手紙は終わっていました。ここで打ちたおされてしまったのかもしれません。
 実はこの手紙はゴンさんのご先祖の木こりが、木を斧でうちたおす前にその木の声を心で聞いて、後で思い出しながら、泣きながら書き取ったものだということです。手紙には涙の染みのようなものが落ち葉のように残っていました。
 木こりの方々には木の声が聞こえる人がいるそうです。わたしはゴンさんに、ご先祖はこの手紙を小鳥にわたすことが出来たのかどうか、一応たずねてみました。当然のことながらゴンさんにはそれはわからないとのことでした。それはそうです。手紙が残っているということはわたせなかったということなのでしょう。それとも、もしかしたらご先祖が小鳥に手紙を読んで聞かせた可能性もあります。
 しかし結局のところ、何ひとつ確かなことはわかりません。ただなぜなのか、ゴンさんはこの手紙をわたしにゆずって下さいました。それで今わたしの手元にこの手紙があるという訳なのです。
 わたしは『去年の木』のおかげで木や小鳥に出会い、火に姿を変えた木が小鳥と再会するのを目撃しました。わたしはランプの火を見つめる小鳥を、火と小鳥の再会をじっと見つめました。その後でわたしの目は飛び去った小鳥をずっと追い続けています。なぜならあの小鳥が、わたしのもとにこの過ぎ去った年の手紙、去年の手紙を取りにきて、未来へと運んでくれるような気がするからです。

『去年の木』青空文庫
https://www.aozora.gr.jp/cards/000121/files/4719_13221.html

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