第五福龍丸で漁に出た日本武尊

 或る真夜中の焼津市歴史民族資料館での事である。日本武尊の像が暗中矢庭に動き出し、館内に停泊中の第五福龍丸の実寸五分の一大の船体模型に飛び乗った。
 彼を乗せた第五福龍丸はそのまま資料館を抜け出し、古に日本武尊が海から焼津入りした場所である北の御旅所へと向かい、其処から更に駿河湾へと繰り出して行った。遊泳していた小泉八雲がこれを目撃した。
 日本武尊を乗せた第五福龍丸はまず三浦半島走水付近を目指し、其処で曽て彼の為に暴風の海へと身を投げた弟橘媛を救い出した。彼女を乗せると第五福龍丸は一気にビキニ環礁へと舵を切った。
 着実に航行する一行がいよいよビキニ環礁に差し掛かると、日本武尊は弟橘媛が見守る中、御嚢から火打ち石を取り出して炎を巻き起こした。水爆を思わせるような巨大な炎であったが、それとは真逆の性質の、水爆による負の出来事を焼き尽くし浄化する炎であった。あまりの明るさで星空が消えた。
 追い討ちを掛けるように日本武尊は、儀式的な様子で天叢雲剣で空を薙ぎ払い場を癒し浄めた。これは勇壮豪快な鎮魂の剣の舞であった。この時の日本武尊には焼津の荒祭りの精神が脈打っていた。荒波の中に神輿の幻さえ現出し、波も風も「あんえっとん!」と声を枯らして何度も叫んでいた。
 すると何処からともなく二十三人の乗組員を乗せた第五福龍丸が現れた。彼らは被爆前と同様の若々しく元気な姿で漁に勤しんでおり、"荒っぽいけえが、ぬくとい"焼津の浜言葉も波の隨に聞こえてきた。日本武尊の一行を認めた彼らは、焼津人特有の人懐っこい笑顔で皆で手を振ってくれた。
 それが合図であるかのように、日本武尊の第五福龍丸は海から浮かび上がり大空へと飛翔した。それから宇宙船のように飛行しながら世界中を駆け巡り、至る所で火打ち石で起こした炎で核兵器を燃やし尽くして消滅させ、天叢雲剣で原水爆実験や原発事故による残留放射線や邪心を薙ぎ払って雲散霧消させた。
 日本武尊のこれらの行為を可能にしたのは弟橘媛の存在であった。彼女が側に居てくれただけで日本武尊の神通力が何倍にも増大したのだ。孤独な日本武尊では恐らく不可能であっただろう。
 こうして地球があらゆる意味での物理的且つ心理的な核汚染から解放されたのを確信して、一行は秘めやかに帰路に就いた。
 再び焼津辺に入った第五福龍丸は、焼津市歴史民族資料館に帰る道すがら御沓脱跡にて錨を下ろし、暫し休息した。
 日本武尊は其処で御嚢から火打ち石を取り出した。そしてこれまで人類が目にした事もないような神々しい光を起こして弟橘媛の両手の平に載せた。
 無尽蔵で清浄で安全な未来のエネルギー資源の素だった。これは石油や天然ガスや原子力発電等による既存のエネルギー資源を代替するものだった。そしてこの光は蝋燭の灯りのように容易に増やす事が出来た。更に言えば、この光を見たり光に触れたりする事によって、それを開発導入維持する為のインスピレーションを得る事が出来るような仕組みにもなっていた。
 日本武尊と弟橘媛は、この光が世界中に行き渡るように一緒に祈りを込めて、夜明け間近の焼津の空に平和の鳩の如く解き放った。
 一行が焼津市歴史民族資料館に帰り着くと、日本武尊も第五福龍丸も何事も無かったかのように徐に薄明の中で定位置に落ち着いた。弟橘媛も実体は無くとも日本武尊に確と寄り添っていた。
 この夜、日本武尊像を船長とする船体模型第五福龍丸は、言わば核廃絶という漁に出たのであった。それはこうして大漁で一旦幕を閉じた。
 最後に、この漁に関連した次の事にも言及しておきたい。日本武尊の像はこの漁以前、毎夜誰もいない資料館の中で、第五福龍丸の船体模型傍にある『核兵器の廃絶を願う焼津宣言』を熟読熟考し、第五福龍丸関連の展示コーナーにも足繁く通って険しい表情で史実を学習していたのだった。そして昼間は我慢して微動だにせずに内で漁の計画を練り上げ、遂にこの夜に決行したのである。また今回の漁以降も、鋭い眼光で世界を涯まで見守り続けるであろう事も想像に難くない。
 後日談であるが、帰漁後の或る日、何時の間にか美しい櫛が日本武尊の像の足元に、波打際の貝殻のようにそっと置かれていたという。現代の焼津人の誰かがそうしたのか、時空を超えて此処に打ち上げられたのかは現段階では定かではない。              


読みにくい漢字について
・日本武尊(ヤマトタケルノミコト)
・第五福龍丸(ダイゴフクリュウマル)
・弟橘媛(オトタチバナヒメ)
・御嚢(ミフクロ)
・天叢雲剣(アメノムラクモノツルギ)
・北の御旅所(キタノオタビショ「きたのおやすみさん」)


参考文献
・『ヤマトタケルとやいづ』
制作/社会福祉法人 嬰育会
監修/焼津神社 焼津歴史民族資料館
絵/水野ぷりん
・『焼津市史 図説・年表』
・本文中""内の言葉は焼津市ホームページ『浜言葉』より引用

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