温水洗浄便座への現状維持バイアス

  • 現状維持バイアスを感じた。

  • トイレのウォシュレットが苦手である。別にトイレットペーパーでふけるのであればそれでいいのではないか、と持論をよく使う。だが、己の技量によっては、過ちが生じる。しかしながらウォシュレットを用いると少なからず過ちはなくなっていくし、目に見えない細菌も流されるのだとも思う。だが嫌なのだ。

  • 特に嫌なのが、直接水をかけられる感覚。お尻周りが濡れていく感覚。そして、その水滴をトイレットペーパーでふき取った時の、びちょびちょになったトイレットペーパーの触感。まだ衛生的であると思うが、触れるのは嫌だ。(嫌悪する感触や、色があるのはなぜだろうか)

  • これに関して困っていることがある。職場のトイレがウォシュレット付きで席を立つと勝手に水が流れるタイプなのだ。ウォシュレットの方なら立って、水滴をふき取るだけなので流れる時間がちょうど良いのかもしれない。だが、立ってトイレットペーパーでお尻を拭く者からすると確実にその1回だけでは間に合わない。①ブツが流れ、②トイレットペーパーを流す、の計2回の排水を行わなければならない。1回で済む水を多めに使用している当人としてはもったいないことによる悔恨の念がすごい。罪悪感を感じないために、毎度、私は便座にてスクワットのような状態になっている。

  • そんなこんなで、私はウォシュレットを上手く扱えないのだが・・・、これって変化についていけない人特有のあれではないかと思う。実家は温水洗浄便座などついておらず、さながら一般的な洋式トイレである。そのため用を足した後に、ペーパーでふくことが普通であった。今後企業努力や社会の高度化により温水洗浄便座がどの家庭にも普及されるようになった際に、「いやいや、そんなものなくても綺麗になるんだから・・・」とグダグダ、今のように言うのだろうか。この言葉は変化を恐れている者にも聞こえる。

  • 現状維持バイアス、変化を拒み現状を維持してしまう心理作用のことである。我々は環境に適応することによって社会で生活できる。その慣れた環境からの変化は見えない環境を形成することにつながる。また環境への適応には労力が生じる。その労力をかけたくないのだ。

  • そしてその片鱗がウォシュレットだと思う。

  • 私が温水洗浄便座に慣れるか、若い世代が和式便所で用を足せないのと同じように温水洗浄便座がない洋式便所を上手く扱えないことを嘆き自慢気にお尻を拭くのか。いや、はよ慣れろよ。

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