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新国立劇場バレエ団「ジゼル」、からの「バレエのダメ男たち」とは?

11月12日午後18時、ついに始動した発表会の振り写し2回目の直後に私はこれをしたためている。
自らの動画を見て、肉体的にも踊り的にもスーパーモデルと肉まん、天使と土俵入り程の余りの違いに嫌気がさしながらも、素晴らしかった新国立劇場バレエ団「ジゼル」(10/22 マチネ)の記憶が薄れないうちに書き留めようと思う。

あらかじめ断っておくが、私はTwitterのバレエクラスタ出自としての根岸祐衣のファン、つまり応援団であるからして、その視点からの感想となることは免れない。
また、ただただバレエ鑑賞歴が長い愛好家であり、バレエ批評で生計を立てている身ではない。
加えてバレエクラスタの皆様以外は「バレエって何?」状態であることは想像に難くないわけであって、舞台の感想を届ける際は、私の独断と偏見に満ち満ちた解説を付け加える所存であることをここに誓います(?)。

そもそも、ジゼルって何??
あちきはバレエなんぞつゆほども知らんのじゃけど?
という方向けに、まずは簡単にジゼルのあらすじをお伝えしよう。


【ジゼルのストーリー】
体の弱い村娘ジゼルは、アルブレヒトという若者と愛し合っている。
ところがどっこい(死語)このアルブレヒト、実は公国の王子で美しい婚約者のいる身ながら、身分を隠してウブなジゼルとのキャッキャウフフを楽しんでいるという、どっかでよく聞く話。
ある日、ジゼルに想いを寄せるヒラリオンという男はアルブレヒトの正体を知り、王室の狩が行われたタイミングで件の婚約者・王族一同が同席する言い逃れできないシチュエーションの中、ジゼルに事実をバラしてしまう。
あまりのショックにジゼルは恐慌状態となり、ついに死んでしまう(!)。

夜更け、墓場には恋人に裏切られて死んだ乙女たちの霊・ウィリたちが集まり、女王のミルタに率いられて男に復讐をせんと待ち構えている。
ジゼルが新たにウィリの仲間に入れられようという時、ヒラリオンが墓参りに訪れ、格好の標的とばかりにウィリに散々踊らされ、疲れ果てて絶命する。
そこにアルブレヒトがジゼルに赦しを乞うため墓場を訪れ、次なるターゲットとされてしまう。
ジゼルは霊となっても愛するアルブレヒトを庇って慈悲を乞うがミルタは撥ねつけ、アルブレヒトは息も絶え絶え踊り続ける。共に踊り、励ますジゼル。
もう命が尽きるか…と思われた時、夜明けの鐘が鳴り響き、アルブレヒトは自らが裏切った女によって結局命を救われたのだった。


…はい。
はっきり言って「アホ男の過ち」である。
ヒラリオンはまともな男なのに、にべもなく殺されるのが傷ましい。
元来、古典バレエ界の王子や主人公はこのような「アホぼん(坊)」揃いであり、こやつらのせいでいつも女性同士のトラブルや悲劇が巻き起こるのである。

例えば「白鳥の湖」では、王子が結婚を誓った白鳥(に姿を変えられた姫)と魅惑的な黒鳥(に化けた悪魔の娘)を間違えたために破滅。※結末は諸バージョンある。
「ラ・バヤデール」では、恋人の舞姫を裏切って上司の娘と婚約したアホ戦士のせいで、舞姫はあろうことか二人の結婚式で踊らされ、最後は花かごに仕込まれた毒蛇に噛まれて絶命。(その後アホ戦士はアヘン中毒となり、幻覚の中で舞姫と戯れる廃人ぶり。)
「眠れる森の美女」の王子はアホを免れているが、眠り続ける100歳オーバーの女性に口づけをするあたり、類まれなるチャレンジャーではある。

とにかくこんなアホいるか?!というくらい典型的なダメ男満載なのだけれど、最近は多少デフォルメされているだけで、意外と古今東西の男の本質ってこんなものかもしれない、と達観するようにもなってきた。
特に、古典バレエにおいてはこのアホぼんたちを演じる男性ダンサーがどのような演技をするかも注目ポイントのひとつである。
いくらダンサー本人が「本当の俺は違うんだー!」と思ってはいても、ある者は情けなく結末を見ないフリをするアホぼん、ある者はプレイボーイのチャラ男、ある者は「悪気はなかったんだ…!」と情熱的に嘆き悲しむアホぼんなど、不憫ながらもダンサーの数だけアホぼんのバリエーションも存在する。
ぜひ、注目して一度バレエを見てみてほしい。


今回の新国バレエのジゼルは、まずは演出とダンサーの演技の観点から、「ジャパニーズホラーの極み」という印象を持った。
柴山紗帆氏のジゼルは村娘としては少し引っ込み思案で、欧米の典型的なジゼルと比較してあまり感情の発露を見せない大人しい和風ジゼルである。
それが件の狂乱のシーンに至るや、どこにそんな激しい感情を隠していたのか、まさしく貞子の如くの情念を見せ、外界に訴えかけるというよりは「なぜ、どうして?!」と内向的に激しく狂い続け、息絶える。
その感情に引きずられ、いつの間にか私や同じく観劇していた応援隊の皆は涙を流していた。ジゼルかわいそう!!ではなく、狂気に引きずられた、が正しい表現である。
また2幕のウィリが現れるシーン、左右から白いベールのウィリが音もなくすっ、と姿を現した瞬間、日本的な幽霊に見えて文字通り総毛だった。その後も何度か背筋が寒くなるシーンあり。
ぜひ次回からは真夏に上演していただきたい。

肝心のミルタに大抜擢された根岸祐衣氏はこの日初日ながら、堂々たる素晴らしい踊りを見せた。通常バージョンよりミルタの見せ所が多いように思われたが、それを見事に踊りこなして感涙ものである。
まずウィリが何人かパドブレ(細かく足を踏みながら移動するバレエ特有の動き)で舞台を横切った後、段違いの浮遊しているようにしか見えない見事なパドブレで登場したこのダンサーは誰?!と驚いたところ、それが根岸祐衣氏であった。登場のシーンからしてそれである。
このミルタが踊ると舞台がものすごく狭く見える。というのは、どれだけダイナミックな踊りであり、観客の視線が彼女に集中しているかを表している。アームス(腕の動き)だけで舞台を支配したり、空間を切り裂く連続グランジュテ(大跳躍)だけで、彼女が普通のウィリではなく女王であることが無意識に伝わる、というのは類稀なる華と才能である。
余談だが、このミルタという役にも様々なタイプが見られ、冷酷な氷の女王タイプの場合や、もう少し柔らかく「規則ですから…」的なタイプなどもあったりする。
根岸氏のこの日のミルタはどちらにも属しておらず、堂々とした佇まいと存在で目立つ、という類のミルタであったように感じたが、これから先もしかすると変化があるのかもしれない、というのも生の舞台の楽しみのひとつである。

第2幕は根岸ミルタが確実に主役の一人であったけれども、柴山ジゼルも圧倒的な美しさであった。第1幕のジゼルより格段に良い。そしてなんと足音が皆無。
自分の命を奪った原因の男をそれでもなお愛し続け、ひたむきに支えて救うという美しさと穢れのなさは、「日本女性的献身」という名の下に説得力を生んだように思われた。


根岸祐衣氏が今回のミルタに挑んだニュースはぜひこちらから。

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