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ヨハネによる福音20:19∼31「シェガレ神父の説教」

B 復活2主日 ヨハネ20,19-31
復活したイエスの出現 渋川2024

 イエスが十字架に付けられて死んだ後に弟子たちの共同体が家の一室に集まって、ユダヤ人を恐れて、戸に鍵をかけて、閉じこもっていました。復活されたイエスと出逢っていない彼らは、気を落として、元気が無く、家の外に出ようとしません。 
 しかし突然イエスが真ん中に立ち、あなたがたに平和があるようにと挨拶し、そして彼らを派遣し、赦しと癒しの権限を与えます。イエスの与える派遣の平和は慰めではなく、弟子たちの心を励ます平和です。これから彼らが出て行き、人々に神の慈しみを宣言するように全世界に遣われています。私たちも日曜日のミサの中でゆるしを受け、イエスの平和の挨拶をいただき、その平和を互いに交わし合い、ミサの終わりに神の平和とゆるしを告げていくため社会に派遣されています。
 ところがトマスは弟子たちと一緒にいなかったと書いてあります。どうして彼だけはいなかったかということについて何も書いてありません。闘争心が強い彼は、鍵がかかったまま部屋に閉じこもっていた弟子たちの意気地の無さに耐えられなくなり、外に出かけていたかもしれません。しかしトマスは部屋に戻った時、弟子たちは喜びをもって「私たちは主を見た」と報告します。しかしトマスは喜べず、弟子たちのいうこと否定的に受けます。こんなバカバカしい話があるはずがないと、彼は信じようとしません。トマスは決して他の弟子に比べて、信仰が薄かったわけではありません。彼はイエスの始めた福音の運動に共鳴し、イエスの人柄に惹かれて、12人の使徒団の中で一番熱心の弟子だったようです。数日前にイエスがエルサレムに向かって受難の道を歩き始めようとした時に恐れた他の弟子たちと違ってトマスは「私たちは一緒に行って、一緒に死のうではないか」(ヨハネ11,16)と言い切るほどの勇気を示しています。しかし復活のことは断じて受け入れません。彼は懐疑心の強い人です。イエスの教えに共鳴していても、復活のことを認めようとしませんでした。合理的な人で、証拠がなければ信じない人でした。この点で現代の人に似ているかもしれません。科学的に物事を考えることに慣れている私たちは自分の目で、自分の手で確かめないと信じようとしません。
 彼の不信仰の原因はそれだけではありません。トマスが信じないもう一つの理由は、他の弟子たちのように復活されたイエスとまだ出会っていないからです。しかし一週間後、再び家に戻り弟子たちと一緒で、再び出現したイエスに声をかけられ、「信じない者ではなく、信じる者になりなさい」と言われ、初めて自分の心が開かれ、信じるようになります。時々トマスのように私たちの信仰は観念的なものになってしまい、信じよとせずに心を開けません。しかしミサの体験を得て、私たちは神の言葉に耳を傾け、信仰宣言を共に唱え、平和の挨拶を受けた時初めて、生きるキリストの存在に触れることができ、心が開かされる恵が与えられます。
 トマスは復活されたイエスと出会った後、派遣の言葉を受けて、宣教に出かけました。教会の中で聖典として認められないが、十数年前「トマス福音書」という福音書が発見されました。この本によるとトマスはアジアに向かって出かけ、トルコとシリアに行き、その後南インドまで行き、宣教活動を行なったことはわかりました。9世紀にトマスの福音書の影響を受けたネストリウス派の宣教師たちは中国の長安までに行き、布教しました。長安で彼らが真言宗の教えを学んでいた空海は彼らと接触でき、影響を受けたと言われています。そうすると1200年前に空海を通してキリスト教は紹介されたそうです。そうなればアジアに生きている私たちの信仰はイエスの復活を信じたトマスの信仰告白とつながっていることがありえます。トマスのように私たちが復活のキリストに触れて、しっかりした信仰を持ち、渋川をはじめ、世界の国々にイエスの残した喜びと平和のメッセージを伝え、宣教に積極的に協力できれば、幸いなことと思います。

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