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三位一体「シェガレ神父の説教」

B 三位一体の主日マタイ28,16-20  渋川 2024

今日は三位一体と渋川教会のお祝いをするが、渋川教会は他の多くの教会と違い、守護聖人ではなく、三位一体の名の下に守られています。この祝いをきっかけに、三位一体の意味を再び考えたいと思います。私たちは、ミサの始めと終わりに、また教会の建物に入ったり祈ったりする度に、「父と子と聖霊のみ名によって、アーメン」と言いながら十字を切ります。このしるしは「私が三位一体の神を信じる」という一種の信仰宣言だが、度々気持ちがこもっていない機械的な手振りに終わることがあります。
 新約聖書は父と子と聖霊の関係についていろいろ語っているが、三位一体の言葉自体は出ていません。紀元4世紀の始めごろ、教会は当時流行っていたアリストテレスの形而上学の用語を借りて、ラテン語の「トリニタス」(直訳:三一)という言葉を選び、父と子と聖霊の三つのペルソナは本質において同一の神である、という難解な表現を採択しました。  
 しかし三位一体は哲学も数学の問題ではなく、新約聖書に語られているイエスの経験を出発点とすればいいと思います。イエスは祈る時、自分が父から愛されていて、聖霊によって導かれているということです。彼は聖なる父と聖霊の関係から自分の存在を切り離せてないです。このイエスの実感というか悟りというか、周りにいた弟子たちに伝わり、彼らは神が父と子と霊、三つの関係において、唯一の存在であることを世界の人々に伝えはじめました。 
 今日の福音書は、復活されたイエスが現れ、弟子たちを派遣し「あなたがたは行って、すべての人に父と子と聖霊の名によって洗礼を授けなさい」と命じています。この派遣の言葉に答え、彼らは福音宣教をはじめ、出会った人に洗礼を授けました。その後彼らの信仰を引き継ぎ、父と子と聖霊によって洗礼を受けた私たちも、神の愛を全世界の人々に知らせるために派遣されています。この神は遠く、近づき難く、孤立したような方ではなく、慈しみ深い父であり、私たちと共に歩む子であり、私たちを真理に導いている聖霊です。そして、父なる神の子とされた私たち一人一人は孤立した存在ではなく、全ての被造物と共に生かされ、キリストに結ばれ、父なる神と子と聖霊の交わりの関係に与っています。
 三位一体の名を持っている渋川教会に属する私たちは三つであり一つである神の愛を伝える使命が与えられています。この使命を果たすために忙しい私たちは時々立ち止まって、呼吸を整えて、祈りの時間を取り、み言葉に触れ、またご聖体をいただきながら姉妹兄弟の交わりを深め、父と子と聖霊の名の下に世界の平和が守られることを願い、いつか全人類が三位一体の永遠の愛の交わりに与ることができるよう祈りたいと思います。

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