ベネズエラ戦から振り返る森保監督が率いる日本代表の現在地

さて、今回はハードディスクから発掘されたベネズエラ戦から色々と考えていきたい。ベネズエラ戦のスタメンは、シュミット・ダニエル、酒井宏樹、吉田、冨安、佐々木、遠藤、柴崎、堂安、中島、南野、大迫と、アジアカップでお馴染みのメンバーが名を連ねていた。中島がいる状態の日本代表ってどんな感じだったかな?と軽い気持ちで試合を眺めることにした。

これは親善試合だ。キリンカップと銘打ったところで、親善試合は親善試合だ。よって、結果よりも大事なことがある。日本からすれば、自分たちのやるべきことをこなしたうえで試合に勝つことにプライオリティが置かれているはずだ。試合に勝つためだったら何でもあり!という姿勢は本番にとっておけばいい。ベネズエラも同じ気持ちだったようで、親善試合に特有のゆるい雰囲気というよりは、正面からの殴り合いのような試合は見応えがあった。アジアカップで言えば、日本対イラン戦のような試合となった。内容はぜんぜん違うけど。

この試合の日本は、シュミット・ダニエルをビルドアップで利用し、後方からボールを動かしていくスタイルで試合をすすめていった。その姿勢は、アジアカップが始まるまでの自分の森保監督の日本代表と同じ印象だった。相手陣地から果敢にプレッシングを仕掛け、自分たちのボールを持つ時間を多くし、前線の選手たちにボールが入ったら一気に加速する。さらに言えば、前線の選手たちの質によって、後方の粗さをごまかすところも含めて、選手同士の噛み合わせもかなり考慮しているんだろうなと感じさせられるものだった。

実際に南野、大迫、堂安、中島の4人から始まる攻撃の勢いは「しかけろおじさん」たちを歓喜させるようなものだったに違いない。さらに、南野、堂安、中島が新たなスターシステムにのっていくところも含めて、よくできたストリーだなと冷めた視点も同時に存在していた。

この試合をざっくりと振り返ると、日本は4-2-3-1でベネズエラは4-1-4-1。日本はセンターバックとシュミット・ダニエルが無駄にロングボールを蹴らずに、もちろん、必要なときは蹴りながら試合を組み立てていった。ボランチサッカーと揶揄される日本のサッカーだが、この試合ではまさにボランチサッカーであった。特に柴崎岳の啓示がなければ、日本はショートパスによる前進ができそうな気配はない。遠藤はどうしてもボール処理に時間がかかってしまうので、名古屋あたりに留学してきてほしい。そこで失った時間をリセットするのは前線の個というところの計算がにくいのだけど。

オープンな状態のセンターバックに対して、柴崎と遠藤は自分たちがボールを受ける動きと相手を動かす動きを区別して行うことができていた。後者の動きに対して、呼応するのは前線の4枚である。また、困ったときの中島のドリブル力はかつてのロナウジーニョを彷彿とさせるものだった。いわゆるチームにとって良くない状況をよくできる選手だった。やはり彼の不在は大きかったと言わざるを得ない。

というわけで、非常にバランスのとれたボール保持を見せる日本だが、この試合でも基本的には時間を潰すようなボール保持は見られなかった。親善試合でそれをやる必要はないのかもしれないけれど。ただ、なぜアジアカップでこのボール保持をやらなかったのか?というと、権田だ。決勝戦でバックパスをあまり行わなかったように、権田は流れの中でフィールドの選手のように振る舞うことが苦手だ。そのプレーの連続がキーパーを使ったビルドアップを封じることになってしまっていった。シュミット・ダニエルを使えば問題は解決しそうだが、それよりも権田のキーパーとしての止める能力を優先したのだろう。ただし、そのためにこの試合まで見せていたようなボール保持を放棄することになったことは解せない。このあたりの計算を森保監督がどのように考えていたかはぜひとも聞いてきてほしい。

さて、ボール保持の時間が減れば、相手のボール保持の時間も増えるし、ボールを奪われる機会も何となく増えそうである。この試合で見せた日本の守備は4-4-2と4-4-1-1の間の子のような形からのプレッシングだった。プレッシング開始ラインは曖昧さを見せていたが、基本的に相手陣地からプレッシングをかけるルールとなっていた。

プレッシングには様々な形があるが、死なばもろともにも良さは存在する。とにかく前からプレッシングを速いスピードで行うことで、相手の時間を奪うという戦術は世界でも行われている。連動性がなくても、相手にその連動性のなさを利用する時間を与えなければ、問題はない。日本代表のプレッシングの発想は基本的にこれだ。

この試合では4-1-2-3のベネズエラのアンカーが曲者だった。日本は押し込まれたあとにベネズエラのアンカーがセカンドボールを拾いまくっていた。そして、アジアカップでハードワークをしていた戸田さんが注意をしていた。なんでアンカーフリーやねんって。そして、浦和の大将が南野がマークですよねと言っていた。カタール戦を見ているような錯覚になったのは言うまでもない。

ベネズエラのアンカーは、サリーちゃんも行う手練であった。さて、日本がどのように対応していくか見ていくと、まちまちであった。アンカーについたりつかなったり。3バックへのプレッシングはこの試合も整理はされていなかった。ただし、カタールほどの整理もベネズエラはされていなく、イランほどにロングボールを蹴ることもできる間の子のようなチームだったこともあって、致命傷には見えない程度の傷になっていた。

また、1列目が突破されたときに2.3列目はディアゴナーレを知らない雰囲気の配置になっていた。ビエルサ師匠が言っていたが、ボール非保持の配置で大切なことは、イレギュラーなときにすぐにオーガナイズできるかどうかなんだと。日本にとって、何がレギュラーで何がイレギュラーなのかはちょっとわからなかった。また、アンカーへの対策が曖昧だったことは、チームとして決められた形というものが存在しなく、何となくノリでやっていた証拠にもなる。

そんな試合だった。雑にまとめると、日本はボール保持からボランチサッカーを展開。強襲に成功するが、ボール非保持では切なさを見せた。

しかし、アジアカップでは権田の起用と中島を失ったことで、親善試合で見せていたようなサッカーをできなくなってしまった。懐かしい言葉を使えば属人的である。ただし、権田の起用は監督の意思だ。代わりにどうするの?の答えが曖昧なビルドアップに終始していた姿はちょっとかわいそうだった。懸命な守備を見せている原口も最後の最後に報われなかった。そういえば、北川もわけがわからないままに姿を消すことになった。

そのとおりで、このチームは基本的に属人度が半端ないチームになっている。誰かがいなくなれば、別のチームに移り変わるというような相互作用がばっちりきまるのではなく、スタメンの選手の代わりに出れば、その選手の代わりが求められるような感じだ。将棋の駒じゃないからそれは無理ゲーなんだが、現状はそうなってしまっている。なので、大迫がいなくなると、一気にトーンダウンしてしまう。半年間くらい大迫がいなければ、別の何かが生まれる可能性は高いが。

さて、そろそろ強引に結論を出すと、森保監督の日本代表がやりたかったことはこのベネズエラ戦である程度は形になっていたと言えるかもしれない。なので、幸運にも試合の動画がある人は見てみると、面白いかもしれません。そして、このメンバーから選手変更によって、それがどれだけアジアカップでの試合の中身に影響を与えたかを想像してみると、より面白いと思います。

ではまた。

(・∀・)