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丹山スタイル

経営学部4年の丹山暢崇です。

内面(メンタル)「井の中の蛙」
外面(プレー) 「諸刃の剣」

この言葉が一番似合うのは自分がサッカープレーヤーを見てきた中で、自分以外いないと思う。

この内容を踏まえた上で、サッカー人生(大学多め)を時系列に沿って振り返っていこうと思う。

最初に、小中学校は正直"サッカー"というものをしていなかった。
週末、友達に会って試合をして後、友達の家で遊ぶこと、行き帰りをみんなでワイワイはしゃぐことが正直サッカーより楽しかった。

そのレベル感でやっていた中で、ある大会で評価されさいたま市の地区選抜チーム(以降トレセンと記す)に小学5年生の時に選ばれた。

この経験が自分のサッカーへの価値観をガラッと変え、最初のメンタル面「井の中の蛙」を作った経験になると思う。

そのトレセンでは、周りの技術の高さやこの年で全力でやっていることに対して次元の違いを感じ2回目以降からトレセンに行くことが憂鬱になっていた。

結果、練習を笑いながらやってることで他校のコーチに罵倒され、丁度1年間経ったくらいで落とされた。
この経験が、初めて周りに干渉しはじめ、周りに負けた悔しさを感じた。

中学では、クラブではなく中体連でサッカーすることを選択し、さいたま市内ではある程度力のある木崎中学校に進学した。

そこでは、自分の弱みである、環境に甘えてしまうことを存分に発揮して、サッカーの記憶があまりない程サッカーではなく、中学生ライフを堪能していたと思う。
しかし、その中でも心の微かには「トレセンでやってたから、俺やれるっしょ」という謎の自信で中学3年生までやっていた。

結果、高円宮杯という大会で他の中体連の人たちよりかはチームメイトと8月末までと長くやることはできたが、何も残らず何も経験しなかった中学サッカーだった。

高校は埼玉県内では公立として強豪とされる浦和東高校(以降は浦東と記す)に進学した。

浦東で初めて"サッカー"というものをして、スポーツの魅力を若干理解できたと思っている。

当時230人も部員がいて、自分より上手い選手しかいなかった中で、他の選手と違いを出せないか、差別化を図ろうとこの歳で初めて気付いた。

この低い身長と癖のある左利きを活かしたドリブルは自分にしかないと感じ、それだけを練習した。
その考えが結果的に最初のプレー面の「諸刃の剣」になり、リスクしかないプレーヤーになってしまったのかもしれない。

競合優位性を磨き続けて努力した結果、3年では試合に出られるようになり、いい経験をすることができた。
当時のチームメイトが今大舞台で活躍してることに、劣等感しか感じないことはここで記しとく。
試合に出ていないのは、本当自分だけだと思う。

そんな中、大学でもサッカーを続けることを決心し、浦東の監督に勧められた城西大学に進学することを決めた。

正直、「埼玉県1部なら1、2年から出てある程度活躍して就職活動で話せる経験になるっしょ」という、非常に薄っぺらい目標を持って入部したら、まんまと痛い目を見た。

現実の1、2年はずっと一番下のチームで、上がってもすぐに落ちるの繰り返しだった。

チームが上がれないことを、評価のせいにしたり、練習では自分のミスを周りに当たり自分のいるチームの雰囲気をいつも悪くしてた。

その状況を続けていた中で、心のどこかで適当にこなしているカッコ良さや、この年齢になって全力でやってる恥ずかしさなどを感じる典型的な、"大二病"になっていた。

その結果、弱みである自分の甘さからモチベーションの維持ができず、1年次はオールで朝練に行ったり、2年次は試合前に飲み過ぎて寝坊するなど、とても“体育会サッカー部"としての活動とは、かけ離れている行動を取っていた。

実際、周りのサークルの友人の話や、平日に女の子とお酒を飲んでるSNSを見たりしたことで、この苦しい生活が抜け出したく、何度もやめることを考えていた。

そんな中、3年に上がる直前でガラッとスタッフが変わることを知り、地元の友人にそのことをフラッと伝えたとこ、
「就活のためとかで続けてるとか言ってたけど、一回全力でやってみればなんでサッカー続けてるか分かるんじゃん?」
という当たり前のように聞こえるその言葉が、当時の自分には誰よりも重く、部活動に対しての意識を大きく変える分岐点になったと思う。

結果3年に上がってからは、
"サッカー中心の生活"
に意識を変えたことで、今までのアドバンテージはあったが真ん中のチームで、Iリーグにコンスタントに出場することができた。
結果も残すことができ、年末にはTOPチームの枠組として活動できたことを、今でもそこが自分のピークだと誇りに思っている。
ダッサ。

その中で4年に上がるタイミングでもスタッフが変わり、監督が変わったこともありサッカーのスタイルもガラッと変わった。

現在、自分はTOPの1個下のチームで活動している。
そこでは、自由にサッカーを楽しんでやらせてもらっている。
ここでは何より、今が大学に入って一番チームメイトと楽しく活動していることに、スポーツを全力でやることとはまた違った魅力に今になって気付かされた。

まだまだ、TOPチームに上がり活躍するビジョンは見えているが、個人的には、15年間の"サッカー中心の生活"の締めくくり方を最近は意識している。
結果はどうであれ、最後は楽しくみんなで笑って引退することが今一番の理想であり、目標である。
個人としては今までの自分のスタイルに偽りなく、城西に何かを残していけたらなと考えている。

長々と話してきたが、最後に伝えたいこととしては、物事を全力でやることで見えることや、大学サッカーとしてのかけがえのない時間とチームメイトはそこらの大学生には経験できない貴重な体験だと思う。

同じの代のみんなには感謝しています。
一人ひとりがBIGになりましょう。

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