社会福祉法人汰功樹会の古薗春則理事長とのご縁に感謝です。
やり残したことは「しっかりと頑張れよ」と残してくれた人生の課題として受け止めます。
一昨日の10月3日(木曜日)は汰功樹会の古薗春則理事長との定例ミーティングで鹿児島入り。振り返ると、古薗春則理事長との付き合いはいつからだろうか・・と思ってしまう。
私が最初に古薗春則理事長との出会ったのは、社会福祉法人汰功樹会から仕事(建設工事)を頼まれたことにある。
その工事は鹿児島市内での「わくわくキッズ倶楽部スポーツグラウンド」建設工事で、当社が設計施工で請け負わせてもらった。この工事が2016年7月に着工して2016年12月に竣工しているので、少なくても8年以上のお付き合いとなっている。
南九州支店の竹之内君が繋いでくれた古薗春則理事長とのご縁。この出会いから8年以上にわたる年月で、最近では私のことを古薗春則理事長は「俺の弟分だよ」と紹介してくれるようになり、私も「故郷、鹿児島の偉大な兄貴分です」と古薗春則理事長のことを言うようになった。
ほんと、人生かくも有難く、そしてかけがえのないご縁を頂いたものだ。
私が古薗春則理事長の傍らにいながら、その言動を見て思い浮かぶのはこの言葉だ。
「夢を見て、夢を追い、夢を食う」
ほんと、口に出したことは必ず実現させている。だからこそ、「故郷、鹿児島の偉大な兄貴分です」となる。
そんな古薗春則理事長に引き込まれるように、私も一緒に仕事をすることが、いつの間にか楽しみに・・と言うか、当たり前になってきた。
「加治木社長には汰功樹会の理事になって欲しいけど利益供与になるからね」
恐れ多いことだが、そんな有難い言葉をもらったこともある。感謝、感謝、感謝でしかない。
いや、まだ足りない。本当に感謝、感謝、感謝、感謝、感謝でしかない。
古薗春則理事長とは、北海道白老町でプロジェクトを成し遂げよう、茨城県鹿嶋市でスポーツ施設運営に取り組もう、そして何より、鹿児島でスポーツパークを建設しよう、そんな「夢を見て、夢を追い、夢を食う」取り組みの真っ只中にある。
まさに、日本中を共に駆け回っている間柄である。
そうそう、忘れてはならないのが、鹿児島からWEリーグを目指そう、という古薗春則理事長の挑戦。ほんと、古薗春則理事長、凄すぎる人間だ。
古薗春則。一体この人間の持つバイタリティはどこから生まれてくるのだろうか?
古薗春則理事長は69歳で私は60歳。若い私がバイタリティにおいて負けるわけにもいかない。少なくても、しっかりと付いていかなければなるまい。
さて、冒頭に書いた通り、一昨日の10月3日(木曜日)は汰功樹会の古薗春則理事長との定例ミーティングで鹿児島入り。目的は北海道白老町でのプロジェクトの打合せだ。
ところが、あろうことか、私が14時の打合せに少し遅れそうになってしまった。笑って許せてもらう間柄でも、速やかな連絡はマスト。しかし、LINEしても既読にならない。そこで14時少し前に古薗春則理事長の携帯に電話すると、電話口に出たのはご子息の古薗功詞郎君だ・・
えっ?病院に緊急搬送された!?
そして、その日の夕方には帰らぬ人となったことを伝えられた。
痛恨の極み。
古薗春則理事長、どうして?
やり残したこと山積みだよね?逝くのはあまりにも突然で早すぎるよね?
まだまだ傍らで学ばせて欲しかった・・。
今日は地元で来たる衆院選に向けた大切な会議が二つあったものの、もちろん事情を説明して欠席させてもらうことにした。
13時から告別式。
今日はお別れに際し、感謝、感謝、感謝の気持ちを伝えるだけ。
古薗春則理事長がやり残したこと・・それは、きっと残された者に対しての最後の思いやりだ。我々に「しっかりと頑張れよ」と残してくれた人生の課題。
ありがたい。
古薗春則理事長との出会い。本当に感謝、感謝、感謝、感謝、感謝でしかない。
おまけの写真はこんな一枚。御殿場にある時之栖でのワンシーンです。私の隣が古薗春則理事長、私の前にいるのが時之栖の阿山常務、その隣が故・阿部先生ですね。懐かしい。
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