一時間で書く 芋

 昨日降った雨のせいか、自転車をひく道路はいつもより水気がある。残暑はまだ続いていたが、昨日よりは気温が下がり、幾分過ごしやすくなってきた。

 自転車をゆっくり漕ぐと、道路を囲んだ田畑から色で例えて青い――いわゆる草の匂いが漂って気分が滅入る。

 すこし前までは夜中にカエルの大合唱。日中はそこら中に虫、虫、虫。犬だって放し飼いする田舎。そんなところに突然放り込まれれば、当然草の匂いも嫌いになる。

 親の都合に振り回されてしまう、そんな子供でいる自分も嫌いだ。

 親父に愛想つかした母親が、俺を連れて実家に戻ってはや三か月。やることなくなったから適当に外にでても、なんにもないし、誰もいねえし――。
 
「あ、よっちゃ~ん」

 車輪の音と、たまに通る軽自動車の駆動音の中、蚊の鳴くような声。緑色の畑の中から、俺に手を振る人がいた。

「よっちゃん、こっちこっち~」

 間延びした声でふにゃふにゃにしながら俺に近づいてきたのは、長靴とゴム手袋をつけた同級生の女の子。

「ユリ、お前、何してんの?」

 ヨシキという俺の名前を、この田舎で呼ぶのはただ一人、遠い親戚にあたる同級生のユリだ。

「芋掘っとったんよ」

 手にあるのは紫のごつごつした野菜。サツマイモ掘る女子高生が存在するのが田舎なのだ。最近知ったけど。

「なにしよるん?」

 ユリは、鼻のあたまについた土を少し払って俺をのぞき込んだ。ふわっと香るのは、土の匂いで全然ドキドキしない。

「コンビニ」

 それもそのはず、長期休みのたびにちょこちょこ顔出してたこの田舎で、唯一年の近かったのがこいつだった。
 ガキの時は遊び相手になってたけど、昔からのんびりしてて、なんかおばあちゃんみたいなんだよな。

「で、ユリは休みの日に畑仕事か」

 ほかにやることねえのかよ、と言いかけたが、俺こそコンビニに行くのも目的がないのでお互い様だった。

「おいも、おいしいで?」

「そ、そうか」

 微妙に会話が成り立たないし。ペダルに足かけたままにしていると、何か思いついたのかユリがしゃがんだ。

「ほら、見て見て」

 にわかに立ち上がると、一本のツルに連なったサツマイモを掲げる。

「大家族やで~」

「……」

 なんでコイツ、こんなことで笑ってんだろう。
 楽しそうでうらやましい気はするが。

「あれ? よっちゃんおもろない? いっぱい芋ついてんで?」

「お、おう」

 どうしていいかわからない空気になってきました。そろそろコンビニへの旅を再開しよう。

「あ、エミちゃんや」

 ユリが乾いた土のついたゴム手袋を挙げる。指さしてその先には、自転車に乗った女の子が見えた。

「誰?」

 ここからだと顔も見えない。田舎の人って目いいのか? なんかそういう部族もあるってテレビであったな。日本じゃないけど。

「ちょっと下の子やね。中学校やったかな? ほら向こうの橋のほう」

 さらに指さすのは、田んぼのはるか先。すごい距離ある。

「年上の彼氏、できたぁゆうてね。隣のおばちゃんに聞いたわ~」

 さすがド田舎。プライバシーのかけらもない。向こう三軒両隣どころか二駅くらい離れた家の子の事情、普通に筒抜けだよ。

「ああいうの、早い子は早いんよね。姉ちゃんも高校でたらすぐ結婚して甥っ子生んでや~」

 にこにこ笑いながら言うことかな。

(田舎はやることねえからって、すぐそういうことするって聞いたことあるな)

 まあ声に出すのは憚られるから言わないけど。はぁ、と思わずため息が漏れた。

「ね、学校つまらん?」

 気づくと隣にいたユリが、下から覗き込んでいた。

「別に」
 薄手のシャツに汗が張り付いているのが見え、思わず顔をそむける。

「そうか~」

 おばあちゃんみたいな感想を言うやつに、何を緊張してんだ俺は。

 でも中学の頃はあんまり見てなかったから、転校したときは急に大人になったような気がしちゃったんだよな。
 それに、俺むかしこいつとよく風呂入ってたこともあったっけ。
 ああ、でも、田舎の人間はやることないからこいつもほっといたらすぐ子供できたりして――。

「ね、いっしょに……作ってみる?」

「え、はぁ!?」

 変なこと考えてたからか、素っ頓狂な声が出てしまった。
 
 てか作るって、なんだ? なんだいきなり何を言い出してんだ! いくらやることねえって倫理観ガバガバじゃねぇのか!

「ま、まだ早い、だろ……!」

「早いかな~。そろそろええと思うで?」

 そろそろってなんだ! 俺なんかフラグ見逃してたのか。再会した時もこいつおばあちゃんみたいに笑ってただけだぞ!

「ま、まだ俺たち高校せ――」

「――もうじゃがいも植える頃やしさ~」

「芋の話かよ!」

 びっくりしたわ。俺の興奮返せ。

「そうやけど……。何の話やと思ったん?」

「い、いやその」

「高校生がどうって……あ」

 き、気づかれた。やばい。汗がとまらない。やっぱり残暑っていったってまだ暑いから――。

「……よっちゃん、ませてんね」

 赤らめた頬より、髪を耳にかけて笑ったその顔が――俺の知らない女の人みたいのようだったのが――なんだかずるくて。

 漂う草の匂いも、土の匂いも、今はもう気にならなくなっていた。

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