社会的不能症-危機の到来

典型的なピーターパン人間の臨床例が教えてくれるもの


ウェンディ:どうかしたの、ピーター?
ピーター(怖そうに):ぼくが彼らの親だなんて、真似事だけだよね。
ウェンディ(うなだれて):ええ、まあ、そうよ。

20年の成長の結果が「社会的不能症」だったとは!


二十代はじめ、あるいは中ごろに、ピーターパン人間は、自分に何か問題があることに気づきはじめる。

でも、それはみんなが感じていることなんだし、どうせたいしたことではないと自分に言いきかせ、それ以上、現実に触れないでおしまいにしてしまう。
何でもないフリをすることで、自分に大変な犠牲を強いていることはわかっている。
そして、それをあまりにも一生懸命にやるために、心の調和が取れなくなっていることもわかっている。
なんとかしたいと願っているが、いまさら変えるわけにもいかず、悶々と悩みはじめる。
いよいよピーターパンシンドロームは危機の段階を迎えたわけだ。
若者は、自分でもわけのわからない人付き合いの苦痛のために、否応なしに自分を見つめざるをえなくなる。

人間の温かい心とか論理や良識というものにも、多少気がつくようになるから、心の中の葛藤を自分なりに解決しようと試みる。
そうなると、皮肉なことに自分の弱さに思いいたることになる。
このままでいたのでは、拙い処世術しか身につかない。
仲間との連帯感だけを盲目的に追求していたのでは、孤独がつのるばかりだ。
彼は思考の魔術を信仰し、法と秩序を軽んじているが、いまや常識が彼を危うくする。
両親に対する愛と憎しみの感情(アンビバレンス)と、女性を誠実に愛する能力の欠如が彼の心を曇らせ、どうにも身動きできない状態に追い込んでしまう。
彼の20年間の成長の結果が、社会的不能症だとは・・・。
これら危機の最中にあって、ピーターパン人間は助けを求める。
が、残念なことに、僕には特別な才能があるんだという幻想と勇気のなさが、最大の障害になっている。
ここでセラピストは、一人のピーターパン人間の人生の内側を読者にお見せすることにしよう。
それは、障害を乗り越えて、社会的不能症に挑戦する勇気を発揮するようになった、一人の若者の物語である。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?