やさしさ+きびしさ=親心

本当の自分の気持ちを発見する手がかりは、自分は今、親心・おとな心・子ども心のうち、どの心が主になっているかと内省することである。

もし、子ども心が今の瞬間自分を支配していると気づいたら、今ここでこの子ども心を出すことはふさわしいか、と自問自答するのである。

これを三カ月でよいから心がけるとよい。

人とのつきあい、ふれあいでかみあう率がぐっと高まってくる。

以上が骨子である。

ではもう少し詳しく説明しよう。

教養・学歴・年齢・性別・人種を問わず、どんな人間にも親心・おとな心・子ども心という三つの心がある。

まずこれが前提である。

親心とは、いたわる・なぐさめる・かばうなどやさしい心(母的心情)と、叱咤激励・威厳・支配・命令などのきびしい心(父的心情)のふたつを総称している。

これのない人はいない。

それは誰でもかつて父と母に教育されたので、父・母の心を取り入れているからである。

ただし、父が弱気な男で母が強気な女性なら、息子の父心は弱体化する。

娘は母を模倣して父心の強い女性になる。

それゆえ父心・母心は誰にでもあることはあるが、強弱は個人差がある。

しかし個人差があるといっても、原因は後天的であるから、意識して父心・母心を表現するように努力すれば、けっして性格は不変のものではない。

さて、親心を例をあげて説明しよう。

私がタバコを吸い過ぎると、娘が「いい加減にしないと体にわるいよ」と注意してくれる。

娘のなかの父心の表現である。

私が腰痛を訴えると、娘がマッサージしてくれる。

これはいたわりの表現であるから母心である。

先日、人のレポートを丸写しにして提出した学生がいた。

私は頭ごなしに叱らないで事情を聴取した。

これは相手の罪障感へのいたわりであるから母心の表現である。

本人が単位を辞退したので、私は落第にした。

これは父心の発揮である。

評価は父心の作業である。

ある高校の教師が、生徒のカンニングを見ても注意できない。

気が弱いのである。

斬る気力がない。

これは父心の欠如である。

この出来事を彼は田舎の老父には隠していた。

父を心配させまいとするいたわりがそこにはあった。

つまり彼は母心を発揮していたのである。

さて親心はいいものか。

いいこともあるし、わるいこともある。

親心しか出せなくなるとワンパターンである。

かえって相手を当惑させることになる。

高校生に向かって、母親が「お風呂に入りなさい」と父心を出したり、「コーヒーを飲みにおりていらっしゃい」と母心を出すと、「ほっておいてくれ!」だの「うるさい!」だのと返事が戻ってくる。

しかし、子どもが就職か進学かで迷っているときに、所見を述べられない父親は、子どもの求めている父心を発揮していないことになる。

子どもとのふれあいの機会をみすみす逃したことになる。

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