心の中をのぞくこと。
お話を描く、というのは結局私にとって自分の心の中をのぞくことなのかもしれないな、と考えている。
昔は自分が自分でよくわからなかった。自分という人間がどういう人物なのか、自分でつかめないから自信がなく、色々なものをむやみに恐れ、望みはかなわないと思い、死にたいと思い、でも死にたくないと思い、自分の望むこともよく分からず、というか、何かを望むことすら、許されないと思って私は誰かのための歯車として生きざるを得ない、もしそこから逃れるなら駆け落ちでもするしかない、と思っていた。
(でも、駆け落ち、ということは誰かのモノになるのは変わらないから、私が私として私のために生きることはかなわないと思っていたってことだろう)
物語を描くことは、そんな自分の輪郭をなぞり、自分がどういう人間か、私自身が知っていく過程だった気がする。
思っていること、考えていること、望んでいることはお話を描くとよく分かる。ストーリーの中で、キャラクターがかなえていくことが私の望み、発する言葉が私の叫びだ、と。
だから、商業的にお話を描く、というのは多分元々無理だったろう。
漫画家になりたくて、ずっと漫画を頑張って描いていた。
でも結局、切り絵の方が受けが良くて、もっぱら切り絵を作るようになり、(物語は、描いても反応自体がほとんどなくて)
(そもそも、あまり見せていなかったな。友達には描くと見せていたけど、それ以上広い場所に出ていくことはできてなかった。否定されることが怖かったから。もうその時点であまり向いてないんだろう)
結局、一度原稿を送っただけでそれ以上、やることはできなかった。
一回、コミティアの勉強会で見てもらって、ペン慣れしてないけど話は面白い、と言ってもらって、満足してしまったから。
だから、多分、本当に自分が楽しむだけに描いていくのがいいんだろうな。そしてその世界が私の中だけで消えないよう、こういうところにそっと置いていくくらいのことはしていきたい。
それがもしかしたら、誰かに届いて、何か一つでも波紋を起こすかもしれないもんな。
さて、最初に描いた通り、「お話を描くことは自分の心をのぞくこと」だとすると、私は私の心を今ものぞいているのかしら。ある程度物語を描いて、私はどんな人間なんだろう、と少し自分でつかめたように思うし、言いたいことがうまく言えない、なんて時はやっぱり、お話を描こうと思ったりするけど、お話を描くのは少しまとまった時間が必要で、雲のようにふわふわ浮かんだものをしっかりつかんで形にするのに力が必要だなと思う。
その力が今は少し足りなくて(でも自粛生活で少しその力を取り戻したようにも思って)時間と場所を私に下さい、と思ったりもして(ここずっと、私はアトリエが欲しいとずっと言ってる。ちゃんとした机がないんですわ…だから何かを描くとか作るのに結構ずっと苦労している。今年こそと思っているけど)それで解決できるなら、今年はそのために動くべきかもなと思ったりもする。
今、何かお話を描いたら主人公が場所を手に入れてるお話になるかもなぁ。
そんな感じで、私自身をよく反映させるのが物語を描く、ということだと思う。
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