悲しみは消えるというなら喜びもそういうものだろう。

心の揺れることがたくさん起こる。

フジ君の結婚報告もびっくりしたけど、あれはいいニュースに入れていいんだろう。ショックはショックだけど、彼が幸せになることは私の喜びでもある。少し時間がたって、だんだんそう思えるようになってきて。

チャマの急な報道は、言葉にならない。音楽を裏切らないでくれ、と思う。なぜ?と問いたくなる。どうして?なぜ?と。

傷つけない、誠実な音楽を作っていたのに?どうして?

怒りとか悲しみとかより、あまりにあんまりだから、どうしても、「どうして?」と言いたくなる。本当なの?とも思うけど、その問いは傷ついた人の傷を深めるだろう。だから、そう発することは私にはできない。

どうして?と問うしかなくて。

問うたところで答えなどないんだろうけど。考えなかったか、何も考えなかったか。人を人として見ていなかったのだろうとしか。

それは、君がやってきたことすべてを裏切り、傷つける行為だったけど、やってしまったことは変えられず、これからどうするかだけが君に返ってくるよ、としか。

そうせざるをえないこと、というのはある。

でも、そうしない未来はきっと違った、と思うことはたくさんあって、それが後悔になるんだろうけど、それにしても。

ロミオの青い空を夏の間見ていて、アルフレドがどうしても悲しくて。

そして、ロミオのまっすぐな素直さ、誠実さ、人としての全うさが大変に愛おしく、アルフレドはロミオに出会っただけで本当に救われたんだろうな、と感じて。

きっとそういうことで。救われていたろう、でもそんな風にしか生きられなかったろう。それが悲しい。

また別の道もあったのかもしれない。でも、その道を進むしかなかった。

何だかその悲しさばかり、見てしまう。

多分、自分の人生もそういうところがあって、どうしてもこの道しか進めない時があるな、と思ったりする。

そういう時に違う道を進むには、どうしたらいいんだろうね。

チャマには、誠実でいてほしかったし、アルフレドには生きていてほしかったし、私自身は独りぼっちで孤高の道を進まずに誰かと一緒に歩いてみたかった。

…まあ、私の人生は終わってしまったわけではないから、まだ、違う道だって進めるのかもしれないけど。

とか、そんなことを考えている。

そういうものを糧にして、さらに良いものを作ろうと思う。いつだって、よいものを作りたい。そして、乗り越えれば乗り越えるだけ、一つよくなって、形は洗練され、線は際立ち、思った以上の作品がたちあらわれることはよくある。

ありがたいことだなあ。私は私を救っている。それが、私が生きていくための本当に必要な糧かもしれない。

空の星を追いかけていたんだ、でも星は私が持っていた。

そう、思う夜もある。

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