見出し画像

僕の見える世界が変わったお話

 2021年1月に狭心症の手術をした。狭心症と診断され即入院、その時は血管からワイヤー入れてステントで冠動脈周辺を広げるものだと考えていた。40歳も後半の私は自身の年齢から軽い手術で概ね一週間程度で退院だろうとたかをくくっていたし、医者も私の年齢から同じような感覚をもっていたようだ。

 ステント術はわずか5分で終了。ステントでは修復不能。3本の冠動脈の95%が塞がり機能していなかったようだ。後日医師から説明があったが、どうやら時間をかけて血管が機能しなくなったのでその間に別の細い血管が伸びて何とかギリギリ心臓を機能させていた、とのこと。しかも、その血管もつまりかけている状況だ。

 結果、左のふくらはぎの血管を摘出し心臓まわりの冠動脈にバイパスを作ろうと。合計5本のバイパスを作ったらしい。

 自身の年齢を考えると、なぜここまで酷い状況になってしまったのかと考える。執刀医にも聞いたし、糖尿病も患っていたので、かかりつけ医にも聞いてみた。プロの目から見ても、結構レアケースではないかと。糖尿病といっても私のレベルの人は同じ年齢に沢山いる。ちょっとだけ血管が詰まっているからステントで手術しようという人は結構いる。しかし、私のレベルまで血管がボロボロになっているケースはあまり聞かないらしい。

 そこで何人かの医師や、知り合いの看護師のやり取りの中で導き出した推論を述べる。原因はもちろん、私生活の不摂生が考えられる。私の中で生きていく上で、仕事をしなければ家族は守れない。おそらく、身を削りながら、また何かをなくしながら生きているのだと。そういう考えなので、他の人とは比べられないくらい不摂生だったのだと思う。

 専門家が口をそろえて言うことはストレス。これが案外馬鹿にならないらしい。確かに、ストレスも他人と比較してもあるほうだとは思う。しかし、誰もストレスフリーで生きている人はいないのでは、とも思う。

 そして、バイパス手術。完全麻酔なので、意識が戻ったのは術後8時間というところか。

  痛い。しかし、どこが痛いのかすらわからないくらい痛い。背中が痛いような気がする。痛くて痛くて寝返りなどできない、できるはずもない。咳もできない。どこを切ったのか、説明は受けていて知っているが、どこを切ったのだろうか?わからない、それくらい痛い。

 そんな、時間が二日間くらい続いたと思う。思う、と記したのは身動きが取れない状況なので時間の感覚がわからないからだ。ニ、三回食事を手伝ってもらった、何とか自分で食事をした回数からの推理だ。ちなみに、食事を飲み込むのも痛い。

 私には、妻がいる。そして7歳の息子とまだ、六ヶ月の娘がいる。特に不安そうにしている息子が、不便でならない。タブレットでテレビ電話しててもその不安感は伝わる。画面ごしにエアーなでなでしてあげた。そして必ず帰ってくるからと約束する。

 しかし、その痛みに耐える時間は、とても長く感じた。苦しい、という表現が陳腐に感じるほどだ。正直なところ、この痛みを乗りこえてまでこれから生きていく価値があるのだろうか?と思った。

 しかし、基本的に私は誰に対しても約束を破りたくないし、守れない約束ならはじめから断る。特に息子にはそういう父の背中を見て成長してもらいたかった。この痛みの時間を乗り切ることができたのはあのテレビ電話があったからではないか、とも思う。

 術後二週間で退院。かなり早い退院だという。40針近く切った足の傷はまだ完全に塞がっていない。胸の30針程度の切開あとの方が見た目の傷の治りが綺麗で早そうだ。

 歩くスピードは入院前の30%程度。歯痒い思いはあるが、約一ヶ月の入院生活のあとだ。外の空気がとてもおいしいと感じる。

 帰ると家で退院パーティー。息子と妻の計画だという。ほんの少しのご馳走、そして息子の手紙。読んでくれた時には胸が熱くなった。手紙を読んでくれている息子が肩を、声を震わせてる泣くことを我慢している様を見ていると、自分がいてない間に成長したのだと実感。

 そして、何を食べても感動している自分がいる。これには自身驚いている。かつて、今は亡き実父が脳梗塞から意識を取り戻し、はじめて食事をした時に突然泣き出したことを思い出した。感涙というやつだ。厳格な父の涙など見たことがない私は、当然ショックをうけた。脳梗塞という病は発症後に性格が変わるのだと思うようにした。自分の現在の心境を考えると、その認識は間違いであると考えるようになった。

 外の空気を吸って感動する。息子に会えて感動する。また、息子の成長に感動する。そして、食事で感動する。全ての見えるものが違う。一週間後に一口だけビールを。そこまで毎晩晩酌してたわけではない私が感動で泣きそうになった。

 何をしても嬉しい。歩く距離が長くなっただけで嬉しい。生きるということは、こうも嬉しいことなのだろうか、と思う。

 仕事の方は、長期のお休みをいただいている。体調がすぐれないのもある。元の健康体と同じような仕事がこなせなくなっているのも、腹立たしい。また、手術前の感覚で同じような情熱で仕事に取り組めないといった感覚もある。身体の方はもう少しリハビリを頑張ればもどると思う。心の整理の方はどうだろうか?まだまだだ。

 それでも、自分の出来ることを探してみる。前を向いて少しずつ。その姿を息子が見ている。見て、感じて、何かを見つけていく息子がいる。それもまた嬉しい。

 とにかく、どんなことでもできることからチャレンジしてみる。息子のため、と記したが、少し違うな、今の自分が楽しい。新しい世界に足を踏み入れる感覚は他の誰でもなく自分自身が嬉しいのだ。

 まだまだ、手探りの生活が続いているが、どんなことをしているか、機会があれば紹介したいと思う。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?