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ファイティングポーズ

クリスマスが終わり、サンタのそりの跡がまだ残るこの時期は、毎年なんとなくではあるが世間一帯にふわふわとした空気が滞留している。

そんな年末も差し迫る日の夕方、自宅の近くを散歩していた。ある道の角を折れると、どこからともなく晩御飯の準備をしている香りがした。(夜勤~日勤を終え、15時に帰宅した労働者の昼御飯の可能性も捨てきれないがここではひとまず晩御飯と仮定しておきたい。)

鮭を焼く香りだった。明らかに鮭を焼いていた。

もちろん何を食べようがその人の勝手だし、街の情景の一部として焼き魚の香りやカレーの香りが漂っているのは素晴らしいことだと思う。問題はそこではない。この時期に鮭を平然と焼けるメンタリティについてである。

僕は正直この12/28というタイミングであれば、忘年会もあるだろうし、自宅で食事をするにしても少々ながら浮かれた食べ物をセレクトしてしまうだろう。現に僕は今日、鍋を食べる予定だ。熊には失礼ではあるが、鮭と言うものは何でもない水曜日などにつまらないTVを見ながら食べるに相応しいものと相場は決まっているのである。

ただ、そこで思った。
冒頭記した、”この時期の街はなんとなくふわふわした空気が滞留している”点について。その家に住む住人はそのふわふわした街の空気を正す、いわば「風紀委員」的な役割を買って出てくれたのではないか、と。もしもそうだとしたら、とてつもない人徳者だ。頭が上がらない。

浮かれているこの街のみんなに向けて、あえて年末に対してアンチテーゼ的な役割を持つ焼き鮭を利用し、間接的に気づきを与える手法だろう。

見えない空気感に対するファイティングポーズを見た瞬間だった。このようなさりげない取り組みの一つ一つが街の秩序を支えているのだろう。もしかしたら、町内会長の家だったりするんだろうか。何にせよ素晴らしい。

この人は大晦日や正月に何を食べてくれるのだろう。間違ってもすき焼きやカニを食べるなど浮かれた真似はせず、願わくば、なんでもない平日と変わらない豚汁や野菜炒めであってほしい。

そしていつか僕もあなたのように強くなれたその日が来たら、胸を張ってその家のインターフォンを押してお礼を言いたいと思う。


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