女子高校生化してみたー

ネットは何故空ではなく海に例えられるのか?

雑記です。

フォロワーの方がね、こんなことを言ってた。

・空は淀みが溜まること無いけど海は汚れが集まる所があるから
・ネットに「潜る」事から空よりも海が適切かな?
・感情がないクラウドの領域があってその下にネット(海)がある。
・海は汚いと綺麗があるところで職や趣味で潜るところが違う。
・空は自分の上にあることから得るものは誰かの元から「下がってきた」
 情報しかない、位置的な意味。

と言った案があったみたい。
すごく詩的でワクワクする解釈だけど、ここで一つ、もっと根源的なお話をしたい。

僕の考えはこうだ。

ネットだけじゃなく
人間は太古から人の心とか、見えないものを海に例えてきた
その反面「晴れやかな心を澄んだ空のような」と例えることもあるけど
流れる水のせせらぎに例えることもあるように
「水」のほうが人間の感覚を例えるのに
感覚的に非常に適してるからだと思う。

理由としては生物の身体は水で出来てるため
同じ水で出来ている海
あるいは海から上がってきたものだから海に望郷がある
もっと単純で生きるために塩が必要だから、母のようにも例えるのか。

実際の所、空気も必要なんだけれど
空=酸素ではない。
まして昔の人間に酸素の概念は分からなかったし
物理的に存在してるモノだとも思われていなかっただろうから
より生きるために身近な「水」に思いをはせて
それが広大な「海」に発展して行ったんだろうと思う。

日本が海に囲まれた国だからこそなのかもしれない。
多くの国では海に例えるんだろうけど
平地だったら雨に例えるのかもしれない。
山に囲まれた土地なら、湖に例えるかもしれない。

泣くことを、感情の雨が降ると謳うこともある。
ただ空に例えるかと言われると
感情の波。とはいうけど、感情の突風、というのは聞いたことが無い。
突風のような~みたいな表現はあるけれど。

また、グズついた空、とか女心と秋の空。と言う言葉が示すとおり
空には既に感情があるから使われにくいのかなとも思う。
人間の歴史で空には神がいると信じてる場合が多い
あるいは空自体が神なんだと思ったから神鳴りという言葉があることから
人は海には自分たちを、空は別の生き物だと判別してるフシがある。
そのため、大いなるものの表現としては2択だけど
空より海を選びがちなのかもしれない。

さておいて

そのため、ネットが海に例えられるのは前述のとおり色々考えられるけど
それ以前の段階にもっと単純な深層心理的に人はネットをモノではなく
人間の感情のるつぼだと考えているから海に例えるんだと思う。
ネットを、ただの物理現象だと捉えてないということなんじゃないかな思う

淀みが溜まる場所で例えるなら水底、とかで良いし
泥沼、谷底、森の奥深く。
色々と淀みポイントはあるけれど、それらは人の感情が留まらない。
そこには現実として何かがある時に例えられる。

だからネットという善悪両方の感情が渦巻く場所を海。
情報がたくさん絡み合っているから海。
そう例えるようになったんじゃないかなと思うし

そう例えられてる前提があるから、最初に記述したような考察が生まれて
話のタネになり、感情の流れが生まれる。
この環境こそが、まさに水の循環に近い。
流れる水を延々と見続けられるように
感想が流動的で目に見えるということが楽しいのだ。

少なくとも僕はね。

さて総感想としては、人間と水の関係や
根源的な恐怖や望郷を「何に」例えるか、みたいな考察は
めっちゃ面白いのでどんどんしていきたいよね。

ってなお話でした。

この記事もまた一つの水の流れ。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?