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時間をかけて育てる作品の価値

こんにちはJONIOです。マジシャンです。
簡単な自己紹介を書きます。

自己紹介

1992生まれ山口出身東京在住。マジック日本代表。国内外のTVに出演したり、様々な現場で経験を積んできました。2020年コロナ禍でパフォーマンスの仕事がなくなったので、オンラインでの活動に切り替え、今はオンラインサロン、オンラインレッスン、オンラインイベント企画などをして生きています。

僕のことを知っている人は「ヒゲのマジシャン」と認識していると思います。
今回は僕が世界大会に出場したり、アメリカや中国の大きな番組に呼ばれるようになったきっかけである「ヒゲのマジック」がどのようにして生まれ、そのようなシグネチャーエフェクトがもたらしてくれる効能のようなものを書いていきます。(効能については別記事で)

JONIOに興味のある人、そしてプロはもちろん、これからもっとマジックを楽しみたい深めたい方はぜひ読んでみてください。ちょっと長いです。写真がいっぱいあって楽しいと思います。

そもそも

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時は2002年。10歳の頃。(この写真は15歳)世間はマジックブームで多くのマジシャンをTVで見る事ができました。そこから学んだことはとても多いのですが、最も僕に影響を与えたのは

・Mrマリックさんの「ハンドパワー」
・ふじいあきらさんの「口からトランプ」
・マギー審司さんの「耳がでっかくなっちゃた」
・ムッシュピエールさんの「とれびあ〜ん」
・セロさんの「サプラーイズ」
・Drレオンさんの「時空をとらえました」
・RYOTAさんの「これがリアルマジックです」

などなどの決め台詞や決めポーズでした。

特にふじいさんの「口からトランプ」は強烈でふじいさんのアイコンとして定着しており、憧れました。

TVで活躍するにはこのような「わかりやすい個性」「キャッチフレーズ」「覚えやすい現象」が必要なのだと子供ながらに感じていました。

無個性-ただの上手いヤツ-

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僕は手が大きく練習好きなのでマジックに向いていたようで比較的早く技術の上達を感じる事ができました。

2011年。大学進学で大阪に移り住み、マジックバーフレンチドロップに出演するようになります。そこにいたのは個性豊かなプロマジシャン達

・男前でコミュ力の高い店長 武宮さん
・ミュージシャンのような服装でグロ系マジックをする(してた)Lokiさん
・沖縄人丸出しのデビッドちんすこう

この3人がほぼ毎日いるレギュラーマジシャン。ここに加えて

・謎の台湾人 沙門零さん
・ウクレレとラクーンを携えるサミー日置さん
・シュッとしたおしゃれ関西人 零加々羅さん
・怪しすぎる見た目の本職塾講師のティーチャーオザキさん
・「ロ〜ズです♪」が決めセリフの ローズさん
・飄々とした振る舞いでシュールなポン太さん

と個性豊かなプロマジシャン達が曜日ごとのゲストとして加わります。

一方その頃の僕と言えば、「ただの上手いヤツ」。そこそこテクニックは上手かった方だとは思いますが、お客さんにはあまり関係のないことだと気づかされます。出演している他の先輩マジシャンたちは「こういうマジシャン」と言い表せる個性がありましたが、僕はお客さんからすれば「若いマジシャン(顔がハーフっぽい、でかい)」でしかありませんでした。

しかしマジシャンに評価される技術があったのでコンテストに出れば良い成績を残すことができました。これがある意味、個性探しを阻害する要因だったのかもしれません。

ただの上手いヤツの限界

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2014年のThe JAPAN CUP2014では観客投票1位と金賞を受賞しました。当時大学4年生ですから、とても嬉しかったです。しかしこれはマジック業界からの評価。僕が目指していた一般社会からの評価とはまた別の軸にあるものでした。大会後いくつかのメディアに出演しましたがそれは「日本チャンピオン」という肩書きありきの出演であり、僕自身の本質的な個性ではありませんでした。

実はThe JAPAN CUP2014の前に個性のなさが理由で2度の敗北を経験しています。

2010年5月。高校3年生で出場した地元のコンテストMOVE MAGIC CONTEST vol.1にてプロマジシャンのまんぼうさんに決勝で敗れました。(写真はMANEさんのブログから拝借)

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チョンマゲぽっちゃりゼブラ柄ジャケットコメディマジシャン
vs
坊主で背が高い高校生マジシャン

次は2011年。大学1年生で出場した大阪のコンテストMAGIC PANIC2。
プロマジシャンのインティキマジシャンてるしたさんに敗北で2位。

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この写真を見ると僕の方が個性的かもしれませんが、この写真、てるしたさんは私服です。衣装は強烈で個性も圧倒的でした。

当時の僕は「コメディマジシャンには勝てない!」と軽く捉えていましたが、問題はそこではなかったのです。

その後マジックのオリンピックFISM ASIA2014に日本代表として出場することになりますが、この時もまだ個性を見つけれず色々な個性を模索していました。大会の結果は振るわず僕は落胆し「やはり足りない」と感じました。

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大学を卒業しマジック一本で食べていくぞ、という時には既に「日本一」「日本代表」の輝きは失われていました。

念の為に書いておきますが、決して、コンテストに出て同業者から評価を得ること自体が無駄だったとは思いません。競うことで自分自身の強み弱みも見えたし、世界の広さも知りました。コンテスト出場経験が今の活動の礎になっていることは間違いありません。今でも交流の深い友人達はコンテストを通じて知り合った人ばかりです。

ただ「個性を見つける」という大きな課題があるのに「技術力」や「現場経験」という既に持っている能力でコンテストを勝ち進んでしまった為に肝心の「個性探し」が後回し後回しになってしまったのです。

転機-KISSERさんとの出会い-

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僕は肌が白くヒゲが濃かったので、剃っても剃っても青白くなってしまい、それがコンプレックスでした。そんなコンプレックスを解消すべく、ある時期からヒゲを伸ばし始めました。この時はまだ、ヒゲからコインが出ることを知りません。

大学時代、静岡の友人マジシャンKISSERさんと交流を深めていました。KISSERさんも日本を代表するヒゲマジシャンでヒゲマジックの先輩とも言える存在です。KISSERさんが先にヒゲからコイン(カードだったかも)を出すマジックをしており、僕もそれについて色々意見したりしていました。スキンヘッドでヒゲという強い個性を持ったKISSERさんが羨ましかったのを覚えています。

マジシャンとしてだけではなく友人としてもKISSERさんとは気が合い、互いに静岡や大阪を訪れ夜な夜な語り明かす仲です。

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2015年。大学卒業後、ヒゲをある程度伸ばした頃、僕も遊び心でコインマジックの途中でヒゲからコインを出してみました。ウケました。しばらくルーティンに組み込んでいましたが、演出の一部というくらいで「ヒゲのマジック」というほどではありませんでした。

その手順をマジックバーで演じていると、オーナーから「それ、最初にいきなりヒゲから出せばええんちゃうん」と言われました。僕からするとルーティンのスパイス程度に考えていたものをいきなり最初にやるのはどうかと思いましたが、そのアドバイスは正解でした。それをするようになってから、お客さんから「ヒゲの人」と言われるようになりました。そこから調子に乗ってヒゲからコインやカードを出しまくっていました。

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完全に調子に乗っている頃です。

ただのスパイス-冷ややかな反応-

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僕はやっと自分に個性を見つけた!と喜び、他の先輩マジシャンなどに「ヒゲからコイン出せます!これめちゃくちゃ可能性ありません?!」と見せて回っていました。しかし先輩たちの反応は冷ややかでした。

「まあコインマジックのスパイスにはいいかもな」
「コイン出す以外になんか他に可能性ある?(それだけじゃない?)」

などなどと僕が感じている「ヒゲ」の可能性を感じてはもらえませんでした。

しかし僕はヒゲの可能性を確信していました。その時は根拠のない自信でしたが、これは必ず自分のシグネチャーになると信じ、現場で演じ続けました。

更なる転機-TV出演-

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2016年。「キスマイ魔ジック」という番組に何度も呼んで頂けるようになりました。きっかけはマジックマーケット2015の会場。番組のマジシャンのキャスティングを担っていた眉村神也さんが僕に声をかけてくれたのです。そこから全国放送のメディアに出ることになり、眉村さんから「ヒゲ推しでいくぞ」と言われました。そして番組で実際にヒゲを使った演技をし、ここで「JONIOはヒゲマジシャン」という認知が広がりました。その後も何度も同番組に出演させていただき、ヒゲキャラは定着しました。

ヒゲの限界-出してるだけ-

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2017年。この頃にはかなり演じ慣れ様々なアイデアを思いつき、コインだけではなくペンやスマホをヒゲから出せるようになっていました。最初は冷ややかな反応だった先輩マジシャン達もヒゲの可能性を認めてくれ、この頃には自他共に認める「ヒゲマジシャン」となっていました。
イギリスのコンベンションTHE SESSIONに参加した際にはロビーで多くのマジシャンにリクエストされ何度も何度もヒゲの手順を披露していました。
「Weird Beard」という英語の決め台詞も作り、順調そのものでした。

しかし心のどこかで「ヒゲの限界」を感じ始めたのもこの頃です。
ただ出すだけ。出すもののバリエーションを増やすだけ。

僕自身もマジシャンとして成長し続け、目や価値観が数年前より研ぎ澄まされていました。多くの素晴らしいマジシャンを目の当たりにし、その上で自分自身を客観的に見た時、これ以上ヒゲマジックの可能性はないのではないか?と感じ始めたのです。

更なる更なる転機-ジョンカーニー-

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2017年2月。イギリスのコンベンションから帰ってきた後、憧れのマジシャンのひとりジョンカーニーが来日しレクチャーとワークショップを行いました。ワークショップで僕はヒゲとコインのルーティンを見せました。ヒゲに限界を感じていたものの、カーニーに自信を持って見せれるものはヒゲくらいしかありませんでした。この時、僕の脳裏にはヒゲからコインを出し始めた頃の先輩達の冷ややかな反応がよぎります。

「まあコインマジックのスパイスにはいいかもな」
「コイン出す以外になんか他に可能性ある?(それだけじゃない?)」


しかし、カーニーの口からは出てきたのは

「出す時にもっと間を取った方がいいね、なぜなら....」
「ポケットにしまう時は全身をリラックスして、......」
「大きいものをロードする時は....」


僕はその言葉の一つ一つを取りこぼさないように耳とヒゲを傾けました。
ワークショップ後、僕の脳はスパークしていました。

「まだまだイケる。俺のヒゲはまだまだ進化する。」

そこから多くのヒゲマジックを創りました。ヒゲコインはもちろん他のマジックにヒゲを絡められないかと模索しました。(写真はヒゲシルク)

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ヒゲで世界へ

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2017年11月。マジックのオリンピックFISMへのアジア予選にヒゲアクトで挑み、部門3位を受賞しました。

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その後、とんとん拍子で中国最大のマジック番組にヒゲマジックで出演。
高橋匠くんが繋いでくれました。

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帰国後12月にはヒゲの先輩であるKISSERさんとオードリーさんの番組で共演。

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2018年1月には前年参加したTHE SESSIONにゲストとして呼ばれヒゲアクトの一部を披露しました。手配してくれたMr,Benに感謝です。

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その後2018年7月には世界大会にヒゲアクトで挑みました。入賞はできませんでしたが、多くの憧れのマジシャン達に見てもらえ多くの賛辞をいただきました。

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その後、ヒゲマジックは僕の代名詞となり世界中で演じることに。写真はインドのすごい豪華なパーティー。

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2020年コロナギリギリで、マジシャン憧れの番組FOOL USへ出演。

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そしてコロナ禍で渡米し、アメリカンズゴットタレントへ。

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「まあコインマジックのスパイスにはいいかもな」
「コイン出す以外になんか他に可能性ある?(それだけじゃない?)」

この言葉に流されていたら、今の僕はありません。
ヒゲに可能性を信じ貫き通してきたことでここまできました。

これから

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2020年3月。FOOL USの撮影で同じタイミングでラスベガスにいた僕の大好きなマジシャンのひとりマリオロペスからこう言われました。

「君もそろそろ次の課題(テーマ)を探すべきだ。」


マリオロペスはマジック業界ではタバコのマジックで広く知られ、FISM2015ではタバコの演技で入賞しています。

つまりマリオは「タバコのマジシャン」という個性と地位を獲得していました。

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この動画は世界中で何百万回と再生され今でも定期的にTwitterやTikTokで回ってきます。

しかし、その時のFOOL USの撮影でマリオが披露したのはタバコではなく、「塩の演技」

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こちらも素晴らしい演技で既にオフィシャルの動画だけでも300万再生。
マリオは「タバコ」という個性に執着せず新しいものを作り続けていたのです。

僕がやっと見つけたヒゲという個性。僕は心のどこかで「一生ヒゲにしがみついて生きていくのか?」と考えていました。そしてマリオとの会話で気付かされました。本当の個性とは何か。ヒゲは僕の一部でしかないということを。

マリオの言った「次の課題(テーマ)を探せ」というのは

「自分の気に入るものを見つけたらそれを満足いくまで育てる。そしてそれはそれとして、次のお気に入りを見つけて育てる。そうして自分が出来上がっていく。」

という意味でした。(実際にはもっと長い話なのですが要約します。聞きたい人は直接聞いてください。)

それからコロナ禍となり自分と向き合う時間が増えました。2015年からヒゲからコインを出し始めて早6年。そろそろヒゲ以外の個性を見つける時です。

今年2021年11月。予定通りであればFISM ASIAが開催されます。そして2022にはカナダでFISM本戦があります。

今回のFISMを僕のヒゲの集大成とします。これまで培ってきた経験や多くの人たちからもらったアドバイスを総動員し、最高のヒゲアクトを作り世界へ挑みます。

そしてその後、ヒゲマジックをやめることはないと思いますが、次の課題に取り組んでいきます。正直全くビジョンは見えていません。また自分と向き合い続ける苦悩の日々です。頑張ります。

ヒゲと向き合って得たもの

6年近く、ヒゲのルーティンを自分の代表作として演じ続けることで様々な収穫がありました。これはヒゲだからという話でなく

時間をかけて育てている作品があること

で得たものと言えます。これがあるだけでマジック学習にもマジックライフにも大きな恩恵があると気がつきました。

この辺りについてはまた別の記事で。本当はこの話を書くつもりでしたが、前提としてヒゲのことを書いておきたかったのです。

長文にお付き合いいただきまして誠にありがとうございます。

きっと過去の僕の写真に対するリアクションが沢山でてくると思います。保存して待受画面にしてくださいね。

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