祖母。

この記事は、私の祖母が流行が始まった直後コロナで先立ち数ヶ月経ってから書き記したメモ。

祖母との思い出。

もう会えない祖母は昔から一緒にいる時間が多く、祖母の家でテレビを見たりご飯を食べたり親戚と一緒に時間を共にした。
そのうち自分が大人になっていつでも会えるからと会いに行かなくなって、かなり疎遠になっていった。
それでも展示を初めてした時大阪市内まで観に来てくれたことはすごい嬉しかった。
まさかその時が最後だなんて本当に思いもしなかったし今でも思う。

母方も父方の祖母もみかちゃんがんばりやーと言ってくれる。その一言だけで元気が出てがんばろう!て思えていた。

祖母たちから受け継いでいるもの、私はいっぱいあると思う。
実際に何かを教えられたわけではない、その存在が教えてくれるもの、大切に生きていかなければいけない。

人ってそういうものなのかもしれない。
人からなにかを教えられて育つ。私はそういう育て方はされていない。

そうではなくて存在で学ぶ、雰囲気で学ぶこと、いなくなってから気づくもの。
人はいなくなるということ。そこから学ぶこと。そこから表現に表れること。

その意思を引き継ぐこと。意思ではないのかもしれない。残留したもの。その人が持っていたなにかの残り。
それを大事に生きていかなければいけない。使命感じゃないけど、それを背負う責任があるような気がする。
それが残ったものの責任と葬い。ただ、拝むだけじゃない、生きている者、表現する者としての責任を私は感じている。

人の残り、という概念がある。
見えない人の空気、空間、持ち合わせてるものの雰囲気、匂い、残り
それたちは目には見えないけどその人を形成している。
それが変わればその人自身も変わるだろう。
肉体が無くなるとどうか。
人は存在しなくなるが、その人の見えないものは残る。
その人を知っている人たち、その人の持っている持ち物、好きだったもの、趣味。
物として残るものもあるし、思念として残るなにかがある。
それを受け継ぐといったら大層だが、自分の一部にさせてもらおう。