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「天才」の話

 天才って憧れませんか?僕は憧れます。3~4年前はもっと憧れてましたし、10代の時なんてそりゃもう色んな天才達の自叙伝やWikipediaを見るだけでご飯が進みました。

ミーハーとも言います。

 よく「恋に恋する」「自分に酔う」みたいな表現がありますが、10代~22歳くらいまで僕は「天才」に惚気ていました。自分の世界観があり、偏屈で、でも独創的で、変人で、誰とも違う。そんな「天才」がとてもかっこよく見え、憧れていました。

 自分が天才になったわけじゃないというところが重要ですね...。

 でもある時思いました。

 「天才」ってなに?

 よく考えたら(よく考えなくても)「天才」は役職ではありません。
 よく考えたら(よく考えなくても)「天才」は資格じゃありません。
 よく考えたら(よく考えなくても)「天才」は職業でもありません。

「天才」をカバンの中に持ってる人はいません。ヤフオクでもメルカリでも売ってません。じゃあ「天才」な人たちは何を持ってるんだろう、自分は何を持ってないんだろうと。

 ひょっとして「天才」はただ努力をひたすら積み上げて来ただけなんじゃないか。それも、「今日はこれだけ頑張った」という満足感を得たいだけの努力ではなく、自分のやりたいこと、行きたい場所、なりたい人になるためのトライ&エラーと軌道修正をひたすら行う努力をしてきた人たちなんじゃないか。

 僕が「天才」というなんだかふわふわしたものをウフフアハハと追いかけている間、この人たちは想像の何倍もの努力を今も続けていると思うとゾッとしました。

 「天才」とは少し才能があればある時期に自動的にもらえるようなものではなく、理想に向かってひたすら道を探して、言い訳をせず堅実に積み重ねていく過程で周囲が勝手につける「あだ名」なのではないかと。

 そう考えると、天才という「あだ名」は重要ではなく、「努力」という現実が大事だったんじゃないかと、そう思ったんです。とても当たり前のことだったのですが、そんなことも気付けなかった自分がめちゃくちゃ恥ずかしかったです。

 じゃあ努力をすればいつか「天才」のあだ名がつくのか。
それも違うと思います。これが重要なのですが、努力をしたところで天才と呼ばれずに死んでいく可能性のほうがはるかに高いです。

 というか、努力さえすれば100%天才になれるという保証があるならみんなやってます。

 じゃあ一体何を努力すればいいのか...自分は何を頑張ればいいのでしょうか...。

 僕の好きな映画で「モンスターズユニバーシティ」という映画があります。この映画では天才だと言われる親の才能を受け継ぐ「サリー」と、才能がなく誰からも馬鹿にされながらも理想に向かって努力を続ける「マイク」が出てきます。二人とも憧れの「怖がらせ屋」になることを夢見て、大学に通っています。

 マイクはどんなに周りから笑われようと努力を続けます。でもそれはマイクが頑張り屋さんだからとか、真面目だからとかそんな話じゃないと思うんです。

 マイクは怖がらせ屋が好きだから努力し続けられるんです。好きで、かっこよくて、そこに1mmでも近づけるならと思えば努力が苦にならず、モチベーションが保たれるのだと思います。

 マイクの気持ちがわかりすぎる僕はこの映画で泣いてしまいました...。とてもリアルで残酷であり、同時にマイクの生き方に色んなヒントがあると思っています。

 努力は100%報われるわけじゃない。夢は叶わない可能性のほうが高い。「天才」なんて呼ばれる日なんて来ない。

 でも好きであれば続けられます。好きだからもっと良くしたい、良くなりたいと思え、モチベーションは下がりにくくなります。成功からリスクを引き算しても「好きだなあ」が残っていれば、それが努力できることなんじゃないかと思っています。

 「天才」という言葉に意味はない。大事なのは努力とモチベ維持のための「好き」なんじゃないかという話でした。

 それとは別で、「才能とセンス」の話もありますが、それはまたの機会に。

では。


僕の曲です。よかったら聞いてみてください!↓


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