"How to Choose a Psychotherapist"を読む
シミントンを読んでいるが、ヴィネットがあるにはあるので臨床は見えやすいか。とはいえ、直接的にシミントンの臨床観を知りたくて手に取ったのが本書"How to Choose a Psychotherapist"である。2002年にカルナック社から刊行された、シミントン家総出で書いた本だ。着想と編集を息子2名が、挿絵を妻ジョーンが、本文をネヴィルが書いている。
日本語に訳出されてはいない。日本語訳すると『心理療法家の選び方』となるだろうか。僕は訳しているので、どこかの出版社さん、出してくれないですかね?
本書は、シミントンの嘆きによって生み出された。心理療法家やカウンセラーが星の数ほどに増加の一途を辿っているのに、数年通って変化が起こっていないセラピーやカウンセリングがあるのはなぜか。
多くの人たちが大なり小なり精神的な不調を体験する。社会は、社会の安寧を脅かす場合にかぎり、個々人に適応や改善を求める。しかしセラピーは、それ以上のことを提供する。精神的な問題をアセスメントし、相応しい知識や教育を指し示し、根本の原因を改善する手伝いをする。「太った男性を例にすれば、自宅に昇降機を設置する代わりに、セラピーは運動して体重を減らすという、はるかに困難で時間のかかる解決策をとるように求めます。……心理療法は、その人の可能性を最大限に引き出すことを目的としています」(pp. 9-10)。心理療法家は情動的な忍耐強さでもって、患者が知りたくない自己知に自覚的になることを促進する。
心理療法家に求められるのは(1)共感や(2)こころに関する見識、(3)解釈である。患者に向けてシミントンは次にサインを提示する。
セラピーが失敗するのはなぜだろうか。シミントンは、「関与しないセラピストunengaged therapist」や「ジキルとハイドな患者」と銘打って、次のようにまとめている。
多くのカウンセラーや心理療法家がいるが、全員が全員、訓練を十分に受けている人ではない。たとえば「誘惑セラピスト」がいる。この種の治療者は患者に心地よい体験を提供するばかりで、実質的な心理的作業をほとんどしない。患者はそのセッション中は幸せな気持ちになるかもしれないが、セッション後には虚しさや徒労感を覚えるだろう。そしてますます、その誘惑セラピストなしではやっていけなくなってしまうかもしれない。
あるいは、「鏡セラピスト」もいる。いわゆる、鏡のように「オウム返し」することしかしない治療者だ。これまでとはまったく違う、他者性を伴った理解を患者が得ることはなく、体験から学ぶこともできない。その種のセラピストは患者の言動の背景にある意味や意義を考えることなく、お手軽に映し返しているだけかもしれない。患者は「変わりたい」と思う部分と「変わりたくない」と思う部分の両方を抱えている。この後者と結託して、ひたすらに現状維持に努めるのが「共謀セラピスト」である。
この例はいささか劇的に過ぎるかもしれないが、ともかく、セラピストに求められるのは「なぜこの人はこのことをこのときに私に聞くのだろうか?」と自問する姿勢なのだ。
シミントンは、いよいよ「よきセラピスト」とは何者か、という問題を本書の最後で取り上げる。「……あなたを助けてくれない人のところに頻繁に通うより、本当にあなたに合う人のところに隔週で通うほうがマシです。私なら、これよりもっと先に行きます。役に立たない人のところに行くより、セラピストがいないほうがマシです」(p. 45)。
「良いセラピストは、環境があなたに影響を与え、あなたが環境に影響を与える点をわかっています。悪いセラピストは、それが双方向であるにもかかわらず、一方通行だと考えます。もしセラピストが、すべてあなたの「せいfault」だと考えているとすれば、あなたを助けることはできないでしょう」(p. 48)。
脱線するが、この「fault」、映画好きならピンとくるのではないか。『グッド・ウィル・ハンティング』(1997年公開)の屈指の名シーンのセリフだ。名優ロビン・ウィリアムズ演じるセラピストが、虐待というトラウマを被った患者(マット・デイモン)に告げる「It's not your fault」。とても感動的な場面である。けれども、シミントンの考えでは、このようなトラウマを被った患者の場合でも、双方向性を考える必要がセラピストにはあるのだろう。この辺は、議論の余地があり、各種の治療理念や信条が衝突するところだ。
シミントンは次のように述べる。「破局的であればあるほど、なすべきことは難しくなる」(ibid.)。その問題や課題が深刻であればあるほど、簡便に打つ手は少なくなる。そんなとき、安易なアドバイスに逃げることなく、患者とともに悩み、考え、患者の内側にある創造的な要素を喚起することができるのかどうかがよきセラピストの基準である。
読んでみると、まぁ、そうだよな、という内容ではある。残念ながらシミントン自身の独特な治療観はわからなかったが、あらためて自身のあり方を点検させてくれるような本だったかな。
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