『アタッチメントと心理療法』に寄せて

 この8月中旬にジェレミー・ホームズの"Exploring in Security: Towards an Attachment-Informed Psychoanalytic Psychotherapy"(Holmes 2010)の訳書『アタッチメントと心理療法:こころに安心基地を作るための理論と実践』を上梓した。

 本書は、アタッチメント理論と精神分析的心理療法の統合を目指した意欲作である。アタッチメント理論の創始者であるジョン・ボウルビィは精神分析家でありながら、精神分析サークルから一定の距離をとっていた。ほかにも諸事情があり、彼は異端扱いを受けた。彼自身も精神分析にはアンビバレントであった。結果的に、精神分析とアタッチメント理論が再び邂逅するには、フォナギーらの登場を待つしかなかった。

 フォナギーらの打ち立てた「メンタライゼーション」アプローチは、破竹の勢いで進撃しており、分析業界のみならず、周辺領域にその名を轟かせている。精神分析(的心理療法)が不得手としてきたエビデンス・ベースドな領域も守備範囲としつつ、多くの治療パッケージが困難を示す(境界性)パーソナリティ障害の問題にも有効なアウトカムを提示している。目下、目が離せない動向なのだ。

 しかし、である。アタッチメント理論と精神分析の相性は決して良好というわけではない。本書の第9章でも議論されているが、たとえば「セクシャリティ」の概念化。あるいは、病理や諸問題の基底に想定されている情緒の捉え方。本来混ざり合うはずのないものを溶かしあってできるアマルガム。両者の融合を説くと必ずぶち当たる錬成上の難関がある。

 こうした課題に取り組んだのは、なにもフォナギーだけではない。その一角に数えられるのが、本書の著者ホームズなのだ。今回、みすず書房のHPで、著者Jeremy Holmesの人となりを述べた部分が抜粋されているので、ぜひともご参照いただきたい。

 さて、いつものごとく「解題」にある程度の概略を提示しておいた。「アタッチメントに裏打ちされた精神分析的心理療法」とは何か。まずは、ホームズによる最新の概略を提示しよう。

1. アタッチメントの防衛や組織化は、クライエントの日常ないし治療上の関係において観察される。
2. 心理療法に欠かせないスキルとは、クライエントのアタッチメントに基づいた存在のありように対して気づくことと敏感性である。
3. 治療者の意図するところは、非生産的で硬直した心的状態を和らげ、柔軟性と開放性を向上させ、真に安全な近しさと豊かな探索・自律性を促進することである。
4. これらのプロセスは、安定したアタッチメントの要素を多く含んでいる治療関係から生じる。
5. 変形を生み出す治療関係は、治療者の能力(調整する、脅かさない、感受する、同調する、メンタライズする、根本から受け入れる)にかかっている。
6. 敏感に調整して受容するように応答する能力は、クライエントが自身の痛みや苦しみに対処することに感じる脅威や、治療者に近づいて多くの失敗を経験しながらも徐々に信頼を寄せていくことに覚える脅威を軽くするうえで肝要となる。
7. 安心基地を本当に提供するためには、治療者が自身のアタッチメントに関連した心的状態や中核的な感受性や傷つきやすさを自覚して省察する必要がある。   Holmes, J. & Slade, A. (2018). Attachment in Therapeutic Practice. London: SAGE より

 臨床現場ではよく「まずは関係作りから」という作法を見聞きする。関係作りがまったく終わることはなく、当初必要と目されていた課題の挑戦に至らないという事態があるかもしれない。あるいは、「関係が築けた」と思ったら問題が消失しており、関係の構築が治療の達成と同義であったという経験もあるかもしれない。この教え(?)を実行することは難事なのかもしれない。

 精神分析の文脈では、この教えは「作業(治療)同盟」という形で再定式化できるだろう。クライエントの健康な観察自我との同盟関係の樹立。それが最初のステップであり、もっとも重要視される機序のひとつと考えられている。けれど、言うは易し、である。昨今の認識では、一定のワークが伴ってこそ、そこに同盟と呼べる関係性が成り立つという。換言すれば、関係作りに必要なのは、ワークなのである。関係作りという名のもとに、問題への取り組みを回避する向きは非治療的なのである。

 本書は、原書名から明らかなように、この最初の関係作りを「安心感」という観点から見直している。人間は不安に満ちて脅威に浸された状況で自由に探索することができない。自身の内面、あるいは外的状況を手探りに見つめていくためには、安心という体験が必要なのである。第3章で描かれるのはこのような視点である。

 ホームズの分析家チャールズ・ライクロフトは、かつて「精神分析は意味の科学である」と述べた。ホームズは、心理療法で肝要なのは「意味づけ」であると説く。それは、ナラティヴの構築であり、自身の過去・現在・未来を紡ぐ一筋のプロットであり、「選択された事実」であり、背景に横たわる種々の病理の理解である。第4章を参照いただきたい。

 第5章では、変化を促進するためのコツが示されている。安定した治療関係の体験を治療外の関係に汎化できるように促し、経験から学べるように励まし、未知な体験や領域を安全に探索できる準備を整えられるように援助する(治療者の)能力が論じられている。以上のように、「アタッチメントに裏打ちされた精神分析的心理療法」の治療者には、(1)関係を築き、(2)意味をもたせ、(3)変化を促進する能力が求められる。

 第1部では理論として、アタッチメント理論の要綱、上記の能力やメンタライジング能力などが解説され、詩歌の解釈も試みられている。第2部では、実践が多角的に述べられており、自傷行為や自殺、BPD、終結の問題などが議論されている。実際に手に取ってご覧いただきたい。探索を促すためにはなぜ安心感が不可欠なのか、その様相が理解できると思う。

 ひとつ印象に残ったのは、第13章の「終わること」である。分析の世界では「早すぎる終結」がよく俎上に載る。要するに、一部の問題や課題が未解決なまま、治療が終わるという問題である。ところが、ホームズは「遅すぎる終結」もあると指摘する。治療者のアタッチメントのスタイルとクライエントのそれの組み合わせによって、治療を終えることに問題が生じるというのだ。治療者がしがみつくようなスタイルを有していると、結果として治療自体は長引く、という。治療者自身が不安となり、見捨てられた感覚を抱き、クライエントに分離の不安を喚起してしまうと強く指摘する。

 実に喚起的な本であった。

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