俺たちが国を愛するように、国にも俺たちを愛して欲しい。それが望みです。

まだまだまだコロナの影響で、友達と会う事や、イベント事、場所、モノ、ヒト、コト、の体験も少なくなってきて、1人でいる時間など家にいる事が多くいる方が、また増えたのではないでしょうか。

その中でもう一回好きな映画のシリーズを観たり、懐かしい写真を遡ってみたりして、好きなモノがさらに明確になったり、もっと造詣が深くなったことで、また新しい発見をみつけたりする人も多いのでは。


私は特に色々なシリーズがあるが!

「ランボー」「ジェイソンボーン」「オーシャンズ」「MI」シリーズが大好きだ。

もと、特殊部隊、もと敏腕CIA工作員みたいな、実は怒らせたらハンパなくやべぇやつ。とか、伝説の兵士で、退役してのんびり暮らしてたら事件が起きて、主人公的にはもう関わらないでくれと言うが、ヤツと戦えるのは、、もうお前にしかいない。みたいなやつが大好きだ!

映画の作中のなかで、主人公の駆使した技術、機転を効かした行動、IQの高さなど、何度も繰り返し観ているうちにインプットしてしまい、あたかも自分も習得したような気持ちになっている。

むしろ使えると思ってるが。

相手がナイフ出してきたらベルトで戦ったり、罠仕掛けたり。一度捕まるがスキをみて逃げ出したり。いつでも出来ると思ってる。

気をつけろ、俺クラスを怒らせたら、殺すぞ。


さて、、、この現代。なにかと情報があふれていて調べればイロイロと何か分かった気でような、知ってるかのような気でいる時代だからこそ、子どもの頃の様に得た、何もフィルターのかかってなくて、全く無知の状態での感動と驚きが薄く薄くなってしまっている気がする。

「私はこれが好きだ!!」

「もう、愛してやまない」

「愛されるよりも愛したいマジで。」

「愛してるって最近言わなくなったのは本当にあなたを愛してはじめたから」

と、衝撃を受けるほどの感動や驚きが最近少なくなっていないだろうか。

仕方ないことだけど、そういった体験が少なくなってしまって日々の生活もただ一日が過ぎ去って、また一日が始まる。というサイクルになっていないか。仕方ないことだけど。

絶対毎日刺激を受けるような、生活をした方がいいとは言わないが、少しでもやっぱり刺激や感動、驚きがあった方が楽しい!に決まってる。

なのでこの時代だからなのかこそ??なのか、まずは下調べなとぜずに、自分の直感で行動してみるのも楽しのではないかなと。

友達からオススメされたモノを純粋に、観る、食べるなどして、先入観を今すぐ捨てて、その後に好き、苦手で判断すれば良い。

こだわりと頑固が悪い訳ではない、何事にも飛び込まず気持ちいいの所だけで過ごしては濃いモノが濃くなっていくだけで、時代遅れに近いのでは。その中で自分だけのこだわりと多方面からの柔軟性を両方持ち合わせていなければならないと思っている。

そうして好きなモノが明確になれば、上手い下手、知ってる量などは関係ないし、さらには他人に何を言われようが、しなやかに強く受け流せる。

「私は好きなんで」って。

そして苦手なモノが増えても経験にもなり、自分の蓄えとして判断基準も多くなるし、選択の精度が高くなり、好きなモノが明確になっていく。

と、言うことは。とてもいいコトなのではないか。


「そして今日と言う一日を、うっひゃー!と楽しむ。」


と言う時間を自分自身でクリエイトしていったらいいじゃないかな。


俺のジョンというニックネームはランボーシリーズの「ジョン・ランボーから」由来している。

信じるか信じないかは。お前次第だ。殺すぞ。










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