価値観

私の生活は笑われているか、妻に叱られているか、ふざけてばかりいるだろうと思うかもしれないが、そんなイージーな人間ではない。

常に憂いているのだ。政治を憂え、不況を憂え、自粛太りを憂え、それこそ差別を憂えているし、今後の自分自身の将来にも憂えている。

そんな私が最近特に、憂えているのは「価値観」についてだ。

まず、価値観とはなんなのか考えてみよう。


・善、悪。

・好ましい、好ましくない。

・高い、安い。

・私は毎日メールしたいタイプ。彼は連絡ズボラタイプ。

・携帯に入ってる異性の連絡先消して?タイプ

・オシャレしてスタバでコーヒー飲んでPCいじってるオレ?恐くなるくらい超イケね?

・こわいくらいおぼえてるのあなたの匂いや仕草やすべてを

などといったモノゴトの評価・判断をするときにどういう価値があるか。とても簡単な言葉だが、実に奥が深い。ともに長年過ごした家族でも価値観にズレはある。共感できればいいが、共感できなかったら不快感が生じてしまうし、亀裂が生じるパターンもある。(個人的にメアド全部消してっていうやつほど携帯に怪しい連絡先入ってるし、お互い連絡先覚えてるし浮気する。か束縛王。)

さらには娯楽にしても仕事にしてもお笑いなどに関しても価値観もそうだ。

「ディズニー時給800円」でも働きたい人はいっぱいいるが

「コンビニ時給1100円」で働きたい人は少ない。

300円×8h×20日=48000円差が出たとしてもだ。

なぜなのか。感動した事実なのか、求められている量なのか、何かを得れるかもしれない期待度なのか、そこで働いてる俺イケてるしょ。好きな人が働いているから。なのか。


ここでもう、価値観の差が生まれてくる。いろんな意味で分かりあったり、分かり合えない部分がある。


あと超高額の絵や、好きな写真などを買うという事の価値観は素晴らしい事ではないか。いわゆるアートの部分。自分を高め周りからも感度が高いやつと惑わす事もできる。もうインスタのストーリーにあげればイチコロだ。


だが実際アートって聞くと難しそう。どこから始めればいいの?と入口が多すぎて断念していまいそうだが、すきなブランドのグラフティーでもいいしピカソでもなんでもいいと思う。そして自分自身の内側にあるセンスや、考え方に再度触れたり、あ、俺こんなタッチの絵が好きだったな、こんな色、こんな風景が好きなんだって、やっぱり巨乳は正義って思い返すかもしれないし、やっぱりミニスカにルーズソックスにローファーは最強3コンボって再確認するし(ミニスカにジャージも好き)、そうしていくうちに自分の理解を深めていき、時には「なんだよこの絵。マジ謎なんですけどー。」もそのうち自分のレベルが上がったら理解できる感覚になるかもしれないし、純粋に絵や写真は見てるだけでも結構楽しいし、部屋に飾ってると小粋な部屋に変貌を遂げるから、なおさらルーズソックスは最高という答えにたどり着く。


ところが考えなくてはいけない事もある。根拠のない自信や価値観を簡単に持ってしまうのではないか。例えば日本がスポーツで勝ったという理由だけで、何も関係ない人が自分の価値が日本という国が、日本人としての価値が高まったように錯覚して自信を深めてしまう事もあるだろう。

だがそこに常にリスペクトがあったら良いのではなかと思っている。

強い気持ちを持ってどんな相手だろうが表現できる相手がいるからこそ試合ができる喜びと感謝。これに尽きるのではないか。

どんな事にもリスペクトの価値観がなければ優越しか生み出さなくなってしまうというのは悲しみを生み出してしまうのだ。我々は戸愚呂弟のようにリスペクト持って戦いを楽しむべきである。



「清楚系黒ビッチ」「ロリ巨乳」などという矛盾している難しい価値観の問題は今度にしましょう。


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