見出し画像

なぜ高校生がベンチャー企業へ?


初めまして!!!✨近畿大学附属高校3年、THINNEY株式会社の岸田宗将です。
よく名前が読めないと言われるのですが“きしだ そうすけ”と言います!

苗字は時の内閣総理大臣と同じく、
そして名前は“ポニョ そうすけ 好き💕”で有名なのですぐ覚えれますね!笑

これからよろしくお願い致します!!!👍

と言っても「あなたは誰ですか?」皆さんこう思われましたよね❓笑
そうだと思います。逆に知っている人がいたら怖いです笑

180日前まで普通の高校生でTwitterを始めたのもつい最近。
このnoteを書いている時点でフォロワー48人という目も当てられない状態の人間ですから笑

Twitterアカウント
岸田宗将🏉@高校生でIVS京都に参加
岸田宗将🏉@180日でベンチャー企業のエースにまで上り詰めた漢(旧)
https://twitter.com/Kishida_Sosuke?t=LUqRrO5jR_VSyNGt0huo2w&s=09

早速ですが簡単にプロフィールを紹介したいと思います。

岸田宗将(2005年7月25日生まれ17歳)
・近畿大学附属高等学校3年
・THINNEY株式会社プロダクト開発 
└60日で10個以上のボードゲーム開発 
└90日で大学生をマネジメント 
└180日で普通の高校生からベンチャー企業のエースへ


普通の高校生が180日の間に何があったんだ…!?
この“あなた”の問いに答えるべく、

「THINNEY株式会社CEOである織戸弘暉との出会い」や
「現在の僕を形成するエピソード3選」を書いてみようと思います。

僕の経験をシェアすることで
・起業家育成を実施されている方🌱
・起業に興味がある人👍
上記2点の方々にとって有益な視点になると考えています。

またこれを読み終えた頃には「岸田宗将っておもしろっ!」
そう思って頂けることかと思います!
ではではでーは!お楽しみに!!✨

織戸弘暉という漢


2022年12月16日

僕は、僕の運命を良い方向に狂わせる漢と出会った🕵️‍♂️

2023年11月上旬

僕は落ち込んでいた。

起業仲間との千葉に遠征して行うプロジェクトの話がなくなったからだ。
僕は彼らと出会ったことで起業を身近に感じるようになった。
彼らは夢を持ち、実力を持ち、情熱があった🔥
高校生でそんな仲間とはそうそう出会えない。

だからこそ喪失感があった😞

そんな中、HANAZONO EXPO2022に
参加したメンバーのグループでとある連絡が来た。

“近大ビジコン2022に興味ある人おる〜?”

僕はすぐに応募した。
ビジネスアイデアBOXを開き、3週間で出来る限りビジネスプランを練り上げた。
仲間にCADでデザインして貰った。
先生方に何度もプレゼンしてフィードバックを貰った。

仲間に協力して貰ったCADデータ


そして本番当日を迎える。

僕は介護予防型社会を実現して、
2040年の介護問題に対してそもそも要介護者が増えない社会を作ろう!

そのために多くの企業が介護予防に参入するため、
介護予防商品の成功事例を作ろう!!!✨
という趣旨のプレゼンをした。

プレゼンの様子


「感動した🥹」

そう言ってくださる方々も居た。

そして交流会の時間が始まった。

そして出会う。

それが“織戸弘暉“という漢だった。

最優秀賞ボードとガッツポーズをする織戸弘暉


THINNEY株式会社へのインターンのお誘いをしてくれた。
しかし、当時ラグビー選手であるため断っていた。

後日、織戸さんから連絡が来た。
僕に配慮して「不定期イベントのスタッフをやってみない?」
という提案をしてくださった。

僕は是非よろしくお願いします!
そう連絡した。

こうしてTHINNEY株式会社に参加したのである。

THINNEY株式会社

新年が始まり、会議に呼ばれた💻
顔合わせだけだと思っていた。
だが実際には違った。

プロダクト開発の会議だった。
そして流れで開発に携わるようになった。
ちょうどこの時期に諸事情でラグビー選手を引退したので
そのまま受け入れた。

後から聞くと織戸さんは
僕が一般メンバーとして参加すると勘違いしていたようである笑

だが、この些細なミスがなければ今の僕は存在しない。
多くの経営者の方々と交流させて頂いて、
様々な仕事を任せて頂くことはなかった。

本当に感謝しています。
この文章を最後まで読んでくださっていると信じて

「織戸さん本当にありがとうございます!これからもよろしくお願い致します!🙇‍♂️」

さてここから僕のボードゲームの開発がスタートしました🎴
最初は質も低く、学習にはとても役に立たないレベルでした。

そこから反省して、鬼速👺でOODA  LOOP(PDCAの進化版)を回し続けて
60日で10を超えるボードゲームの開発を成功させたガッツ
その発想力をかって頂き、アイデアを必要とする会議に呼んで頂いた。

そしてだんだんとボードゲームだけでなく、
その他の教育コンテンツ開発を任されるようになった。

それらの実績を評価して頂き、
THINNEY株式会社に参加してから90日で
プロダクト開発の肩書きの元、
大学生数人のマネジメントを任せて頂くことになった👨‍🎓

最初はメンバーの情報共有やタスク管理だけでも上手くいかないことがあった。
そこを織戸さんを参考にしてメンバーへの
メッセージの伝え方や会議の進行を行なっていった。

その結果、織戸さんよりマネジメント能力を評価していただけるようになった。
それにより重要な仕事を任せていただけるようになった。

現在はプロダクト開発だけでなく、
マーケティングなどを担当させて頂くこととなり、
仕事に精が出る。というものです。

将来的に僕自身、起業を考えています。
日本の社会問題が多すぎて、
人に身を任せるだけでは穏やかに暮らせないと考えているからです。

まずはマネー教育が普及していないことで発生している諸課題を解決するために
THINNEY株式会社に“全集中 常中“!

まだまだ若輩者ですが粉骨砕身働きます!!

『マネー教育を日本のスタンダードに!』

皆様、今後とも岸田宗将(キシダソウスケ)をよろしくお願い致します!

エピソード#1「みんなの記憶に刻まれた“2つの事件“」


2019年の夏。
日本中が、特にアニメファンが怒った事件がありました。

「京都アニメーション放火事件」です。
僕は当時中学2年生でショッキングなニュースであると共に
様々な角度の情報に触れる機会となった事件でした。

その影響で
経済・ビジネス・哲学・心理学・芸術・政治など
幅広い分野を勉強するようになりました📓

そしてそれが急拡大した事件が世界中が経験したあの“事件“です。

『新型コロナウイルスによるパンデミック』

これにより外出自粛になりました🦠
僕はこの期間に自己啓発に励むようになりました。
その内容が前事件の影響の内容です。
この時の大量インプットが現在の僕の活動のエネルギーとして下支えしています。

1世紀前
スペイン風邪が流行した時にも外出自粛があったそうです。
その期間に鬼学習をして偉人となった人物が
「ニュートン」や「アインシュタイン」だそうです。(数年前の記憶で間違え御免)

僕はこれを現代で体現して魅せます。

ノート5冊分がこんな状態


エピソード#2「BAB会社(小学生委員会活動)」


僕は小学生3年生の時、お笑いというものと出会った🥸
当時のクラスでお笑いグランプリなるものが開催された。

それにバンビーノさんの『ダンソン〜♪フィーザキー〜♪』の
オマージュしたネタで準優勝出来た🏆

そこからお笑いにハマり
小学生4年間ずっとお笑い係をやり続けた。
メンバーを集めまくって小学4年生の時には
クラスの約半数が運営になってしまうこともあった。

気づけばこの時からメンバーマネジメントをしていたんですね笑
会議のスケジュールとかタスク管理とかしてました笑🗓

小学6年生では委員会活動に会社名をつけることとなり、
「BAB会社(バテネ・エンターテイメント・ガイシャ)」と命名しました。
振り返ると会社(ガイシャ)はGなんで間違えてるんですよね笑

そして当時していたことが
イベントの企画・運営やネタから道具・装飾まで全てやっていました🎊
手品にお化け屋敷見たいなのに、ドッキリに…完全に手を広げすぎですが笑👻

その中でも宝箱ドッキリがインパクトが大きかったですね!
僕1人で人が入れるサイズの巨大宝箱を作ったんです笑
大きな段ボールと画用紙を組み合わせて絵の具でカラーリングして、
絵の具が尽きて色が変われば全て塗り直し。
補強のためにハンマーで竹串を打っていました。

そこにクラスメイトを入れて6人くらいで運び、
自分で企画したお笑いグランプリの優勝者に開けさせました。

最初からバレていましたが笑

完全に手を広げ過ぎた企画の失敗ですが、
一応やりきったんですね。
当時、周りから絶対出来ない。出来ないと言われ続けていました。
あれがないから。これがないから。
でもありとあらゆることを駆使して細部までこだわる。

それが岸田宗将という男であり、
この目標達成のためなら
愚直に行動する精神が
現在ベンチャー企業で初めてのことにも臆せず取り組める根源となっています。

ドッキリで使用してから1年後の巨大宝箱

エピソード#3「覚醒の炎(ほむら)」


僕はラグビー🏉を幼稚園の年長の頃からやっていましたが、
後から来たメンバーにどんどん追い抜かれて試合に出れないような選手でした。
期待されず、バカにされ、嫌がらせされることすらありました。

そんな中、忘れもしない小学4年生の冬❄️
恩師と呼べる方に出会いました。
僕はその方に拾って頂いて爆発的な成長を遂げ、
“覚醒“したと言われるほど躍進しました。
結果的にチームの副キャプテンに上り詰めるまで下剋上しました。

今でも当時を思い出して熱くなる❤️‍🔥

「勝ちにこだわれ」
「相手が誰であろうと関係ない」
「お前だから伝えれることがある」

そして培った、

『最後まで、勝つまで、勝負を挑み続けて諦めない”不屈の精神“』

書きながら涙とともに胸が熱くなるほど今でも刻まれている。

心に刻まれた精神のジャージ(裏面)


最後まで読んでくださりありがとうございました!
次回はボードゲームを2ヶ月で完成させる事の出来た
「最強の発想力」(仮)をお届けします!!

もし今回のエピソードが面白ければいいね!お願いします!!✨
好評であれば続編を出したいと思います!!

今後ともよろしくお願いします!

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?