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まずい給食

「おいしい給食」という番組がBS12でやっています。
主人公の先生は給食“命”の先生で、給食を愛しています。
時代設定も少し古くしてあり、今の給食とは違って、懐かしさもあるように演出しています。

私は小学1年から3年までは大分で、一応都会に近い環境にいましたが、3年の夏から父の転勤で、かつて栄えていた地方都市に転校しました。そこで昭和45年、カルチャーショックを受けました。
大分では附属小学校だったからでしょうか、
給食は、陶器のお皿で、牛乳は瓶でした。各階に、エレベーターがあり、給食が、各教室で大きなキャスター付き台車に乗せられて到着します。
陶器や瓶は子供達には重すぎたからでしょう。
食事も本人が食べられる分よそって貰うようになっていました。

それが、転校すると、市立の小学校だったのですが、給食当番は教室から遠い給食室まで取りに行き、お皿は黄色っぽい、ちょっと凹んだアルマイト、量も皆同じで、一番ショックだったのは、「脱脂粉乳」でした。

脱脂粉乳 たまにコーヒー味とか出たりしていた。
けどまずい!!


こんなに美味しくない飲み物飲んだ事がなかったのです。
他の地方の同じ歳の人に聞いても、「脱脂粉乳」は無かったと聞く事があり、残念な地域だったようです。
私は小さい頃身体が弱く、喘息持ちで少食でした。でも、全部食べないと許されなくて、掃除の時間になり、埃が舞ってる中、一生懸命食べていました。
今だとそんな事は問題になりますよね。
コッペパンだけは持って帰れたので、毎日持って帰っていました。
母は、そのパンを乾燥させ、パン粉として利用していました。

落とすと給食室で、焼いてくれるので
持っていった事もあります。


給食のおかずですが、ハッキリ言って美味しかったものはありませんでした。
それまで食べられていた、「ピーマン」「セロリ」など食べられなくなり、やっと食べられるようになったのは、中学になり弁当に、なった頃からです。
中学では、牛乳給食となり、牛乳だけ毎日でていました。三角パックの牛乳でした。
なぜ、小学校は牛乳でなかったのでしょう⁉︎

私の子供達は、給食は美味しかったと言っていて、同じ市立の小学校なのに、私と子供達の間の時間に何があったのだろうと思います。

最近、どうしても美味しくなくて食べられなかった「春雨サラダ」を自分で作ってみました。
とても美味しくて、どうやったらまずくなるのかが解りませんでした。

春雨サラダ


ただ、「脱脂粉乳」が入ったドリンク(主に缶コーヒー)は今だに苦手です。

※写真は記事とは関係ありません。

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