480円の払い方


先に言っておこう。今回の話は全て無駄である。
最初から最後まで全くもって無駄話。

目まぐるしい速さで日々の生活を営む読者諸賢には、いきなり終末へと飛ぶことを強く勧めたい。


なぜなら全て無駄だから。

では、いかにして今回の480円騒動が生まれたのか。

事の発端は、とあるビジネス書。
変える技術、考える技術。という本である。

内容は、めためた簡潔に言えば、何事も愛と想像力が大事だよね!というもの。

他人の立場を想像し、そこに愛ある行動を起こす。仕事上の人間関係はそのようにすべし、と筆者は語っている。


そこで、聡明な僕である。
ある日のコンビニにおける会計額が、480円であった。財布の中には500円玉が1枚と10円玉が3枚。

さぁ、貴方ならこのとき、いくら出すだろうか。


そう。秀才な貴様らは、恐らく満面の笑みで530円をばら撒くだろう。
この僅かな気配りにより、店員さんはお釣りが50円玉1枚のみで事足りる。今日も世界は平和である。

当然、僕もそうした。

だが、冷静に考えてみてほしい。
この、お釣りを揃える、という風習は、果たして本当に愛と想像力によるものなのか。

ともすると、自分の財布の小銭を減らすための、自己中心的な考えなのでは。

この場合、店員さんは4枚の小銭をレジにぶち込み、1枚のお釣り。すなわち合計5枚の小銭に触れることになる。


ここで、500円玉1枚のみを出した場合を考える。当然、お釣りは10円玉が2枚。
僕の財布には10円玉が5枚も残ることになる。
しかし、この場合店員さんが処理する小銭の数は、合計3枚なのだ。先ほどの530円支払うケースの方が、遥かに煩雑である。


そう。お釣りを少なくしようとすれば、かえって店員さんの手を煩わせてしまうのだ。

ね?無駄でしょう?


果たして、愛と想像力に満ちた皆様なら、どちらの金額を支払うだろうか。この、480円の払い方にこそ、人間の真価が問われるのである。



そして、真に愛と想像力を抱く人間は、キャッシュレスで支払うであろう。今回の解決策はこれである。セルフレジにてキャッシュレスで支払うのが、最もデキル人間なのだ。

身につけたいね、愛と想像力。


本日の無駄話おしまい。
ご一読頂き感謝。

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