#2 家族との思い出は、、?1

 私が保育士を目指したのには理由がある。
その前に、家族の事を書いていこうと思う。

 幼少期は、ボロい昭和の2DKの部屋に、両親、弟2人と私で暮らしていた。
近所は同じくらいの子どもがたくさんいて、外に出れば誰かと遊び、日が暮れるまで林の中や畑で遊んでいた。

 父は色々な仕事を転々とし、自営業をやったり、会社員になったり、商売したり、なんでもやる人だった。ただ、パチンコや麻雀が好きで幼い子どもが3人いようが、構わず朝帰りしまくり実に勝手な事をして、よく母が怒っていた。
気に入らなければ怒鳴り、子育て、家事は女がやるもの。全く家庭を省みることはなかった。
母は、黙って家事をこなして、我慢強い人で、父に飯が鳥のエサだと言われても、軽く受け流していたし、
内職やパートで家計を支えていた。

私が9歳の時に、3LDKの団地に引っ越した。
弟は8歳、4歳、
その時に父はうつ病になった。精神科に入院したり、急に倒れて救急車で運ばれたりした。
全身に湿疹が出て、痒い痒いと眠れないのが続いていたようで、母が夜中起こされ、痒み留めを全身に塗ってあげていた。
子どもなりに、その姿を見て、母を困らないようにしようと、なんでも自分の事をやるようになったり、親の顔を見て気を遣いながら生活していた。
 
 引っ越した団地では、もっと子どもがたくさんいて、100人近くいた。だから遊び相手がいなくて暇を持て余すこともなかった。
ローラースケート、一輪車、缶蹴り、団地中フルに使っての大勢のドロケイはスリルがあって面白かった。

父はうつ病になりつつも、子どもと本気になって遊んでくれることもあり、楽しかった思い出もある。
とにかく、私は母から父の愚痴をいつも聞かされて父のことはあまり好きではなかった。

父は弟には欲しがればなんでも買い与えていた。
私は親が金が無いといい、困る顔を見たくなくて、欲しくても困っても、買ってと言えなかった。
それでも弟にばかり新品を買い与えて、私は親戚のお下がりを使っていたり、不公平だと言ったら、父に往復ビンタで怒鳴られた。

その日から父とは完全に距離ができたのをはっきり覚えている。私が12歳の時だった。

そのときの私の気持ちは全く理解されず、父の暴力で抑えつけられて私は気持ちを沈める事で解決したことになっていた。

私も新品欲しい、品物はなんでも良かった。
ただ、親に気持ちをわかって欲しかっただけ。
12歳の思春期にそんなことがあったので、私はその先、怒鳴る人は嫌いになり、男に対しても怒鳴らないかどうかを見るようになった。


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