信仰告白


共感しながら読んだ幸福の科学信者さんのブログ

信仰告白というのは やはりハードルがあります。
新しい宗教の場合は、100年以上経てから社会に馴染むものもありますから、宗教の正邪は 出てきたときは すぐに分からないかもしれません。

1995年に 信仰告白の時代という本が出されました。

1995年は大変な年でした。
阪神淡路大震災はあるわ、地下鉄サリン事件はあるわ。

サリン事件はオウム真理教が起こしたテロ事件で多くの被害者を出しました。

そして、宗教がすべて悪しきもののように叩かれ始めました。

昨年起きた 安倍元総理の殺害で 犯人ではなくて、犯人の母親が信仰していた統一教会が攻撃され、新興宗教に批判が起きたことと非常に似かよった状況でした。

https://www.irhpress.co.jp/products/detail.php?product_id=163


その時代に出された 本です。

大川隆法総裁の前書きには この様にあります。

ともすれば、宗教が「アヘン」のようにいわれる世紀末日本にあって、あえて宗教の、そして親交の意義を打ち出した一書が、本書である。
 
戦後50年(1995年'当時)日本の教育は間違ってきた。宗教から遠ざかりさえすれば、第二次大戦のような惨禍は避けられるものと、ひたすら無宗教化をすすめてきた。

その結果得られた、世界からの評価は、色、金、欲、にまみれた経済奴隷としての日本人に象徴される。

  理想も、理念も、正義も、気概も、何かも、打ち捨ててしまった。「町人国家日本」は、国家から背骨とでもいうべき「宗教」を抜き去ったら、ただただクラゲのように漂うしかないということを証明した、悲劇の文明実験国でもあった。本書は「無宗教国家日本の敗北」を思想の次元で論証する一書でもある。
全国民が半世紀にわたる過ちを反省し、再び「無宗教」を国是とすることによって、来世紀の子孫を苦しめることのないように、切に願った警告の書である。

あとがきには

邪宗の2つ3つが出てきたからといって、「宗教無用論」を説くようでは、とうてい文明国家の国民とはいえぬ。邪教が社会問題を起こしているからこそ、正しい宗教を擁護し、確立し、人々を啓蒙すべきであるとの世論が興ってこそ文明国家の国民といえる。
 信仰なきは獣の仲間である。
 日本人よ、はやく人間の仲間入りをしなさい。そして世界の一員になりなさい。そのための武器こそ、積極的信仰告白である。いざ、信仰告白の時代へ。

今読むと 厳しい言葉だと思いますが
今だけ 金だけ 自分だけ だと言われる現代人の堕落の原因も 宗教を葬りさってきたツケが回ってきたのかもしれません。

現状を見る限り
日本の国政は 中国のような唯物論に近ずき、
中国共産党のような 言論統制や独裁に向かっています。

この本が出たときは 戦後50年でしたが
今は申し上げます戦後78年にならんとしています。

この警鐘は 届いていませんし 安倍総理暗殺後に起きたことは 宗教をさらに弱体化させるような動きになっています。

個人的に 安倍元総理暗殺後に起きたことについて いろいろ考えたことはありましたが、
あくまでも個人の思いとして留めていました。

でも 少しずつ 書き留めておこうかとも思っています。


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