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永遠の生命の世界

宗教に入るきっかけには

この世が「苦」であることを

心で深く感じた 人が多いのではないかと思います。


生老病死の四苦と 共に

愛する人と別れる苦しみ も大きいと思います。

求めるものが得られない苦しみも大きいと思います。

この 永遠の生命の世界が発刊されたのは 2004年

2004年は個人的に転機の年でしたが 大川隆法総裁も第三の死を通り抜けて、救世主としての使命を開始された年でもあると聞いています。


映画 「世界から希望が消えたなら」にもその頃の状況が描かれています。
少し脚色が加えられているものの

 心臓が動いていない状態で医学的には死んでいる、少なくとも今夜中には亡くなると医師から診断されたということを聞いています。

書籍 永遠の生命の世界のまえがき煮はこのようにあります。
今から二千五百数十年前、北インドの釈迦族の王子ゴーダマ シッダールタ(釈尊)は、人間にはなぜ、「生」「老」「病」「死」の四苦の苦しみがあるのか、その問いへの答えを求めて出家した。そして「真理」とは何か、「善」とは何かを巡って「悟り」を目指した。
本書が釈尊への疑問への答えである。迷える宗教家への導きであると同時に、むみょうに生きる現代の医者や科学者への厳しい警鐘ともなっている。

最初に真理を発見し、確信するのは、いつの時代にもただ一人である。そしてその真理を伝えんとする情熱が、人の心から人の心へと伝わり、時代を経て、多くの人々に覚醒をもたらす。
本書は真実の世界の秘密を知る宗教家としての、私の使命をかけた一書であり、必ず後世に遺さねばならない真理でもある。
                                                2004年春


帯タイトルにありました


死は永遠の別れではない

という言葉も 子供の頃母親を喪ったばかりの年齢や父親を二十歳の時に亡くした その時には 直ぐには受け入れ難いものだったろうと思います。

目に見えて 声をかけてくれる存在が
急に消えてしまうのはとても辛いのです。

手で触れてみて暖かい温もりのある肩に寄り添えなくなるのは寂しいのです。

霊的な存在というのは 目にも見えず触れることもできません。

その頃には まだ幸福の科学もありませんでした。
既存の仏教ではお葬式や法事の時のお付き合いくらいで 人が死後どのような世界に還るのかも伝えてくれるものはありませんでした。

それに、当時は宗教にたいしての拒否感を感じていました。

年齢を経て 幸福の科学と出会いましたが それでも、心から受け入れるまでには時間がかかった。

それでも、仏の説かれる法の書籍の一冊一冊、講演会の一回一回に 真実の世界に目を開かれていったように思います。
これは真実だと。

多くの人の心にも届いて欲しい一書です。




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