目に見えない心こそ

現代ただいまに起きている多くの問題や
目に見えて現れている 現象の奥にあるもの

大川隆法総裁の3000冊を越える書籍群は
その本質に当たる部分を
説いている

そのように私にも感じられます。

自分自身の心の奥を探求していくと
神仏の存在に 巡り会わざるを得ない

幸福の科学でいう

正しき心の探求というのは
神仏の心を知ることでもあり
神仏の子としての 自分の姿に
出会う旅路でもあります。

私の心が 私の現実を創っている

それを認めるのは 辛い
と思うこともありました。

家族との死別や
人間関係
仕事を失なうこと
病気

こうしたものが 自分の心
と関係しているとは
当初思えなかった。

ただ 大川隆法総裁の書籍のなかのひとつの
言葉に

出口ばかりを探すが入り口を探しなさい

この通りの文言ではなかったかもしれませんが

このような意味の言葉に はっとしたことがあります。

苦しみや悲しみから逃れることばかりを考えて右往左往しているけれども
それがなぜ起きているのか
その原因を深く考えて
それを解決しない限り
その問題は 何度も自分の前に現れてくる。

それを知ったときに 何か 一条の光が
射した気がしました。

悲しみや苦しみに見えるものを
通過しなければ
他人の悲しみや苦しみにも
無関心で
傲慢になっていた 自分自身の姿に
気がつくことがなかったかもしれません。




人生は一冊の問題集


だと言われます。
個人においても 民族、国家においても
幸、不幸の波は おとずれて
なぜ こんなことが
と思わざる得ないことが
いくつかあります。

時折、それに心を酷く乱されます



 この世の数十年の人間の生命を越えて
私たちが 何千年、何億年という
時間の流れのなかで何度も生まれ変わり
永遠の時間を旅している魂だとすれば

長い時間軸で
今起きている現象を
捉え直してみると
そこには
因果の理法という
一定の法則があって

その法則に沿って 人生は
運ばれているのだとも思えます。

目の前に起きる事は すべて学びのため

親も生まれてくる環境も 
生まれる国も
偶然ではなく
その人にとって
魂の成長に必要な場を
選んで生まれてくる。

その事を知ったなら
そこから どうするのか


幸、不幸も 過去に原因があり
結果が今現れている。

現在ただ今から また因果の理法で
新たな未来が作られていくなら

現在ただ今から、善き種を蒔くこと
新しい未来を善きものにするために
その事を 教えてくれるのが
正しい宗教なのだと思うのです。

その時に
愛を奪う側に立つのか
愛を与える立場に立つのか

個人としても
人類全体としても
その問題集が
与えられているのかもしれません。


いえいえ 他人のことではなくて
自分の心のなかから はじめなければ

さて 私は 神仏の心にかなう一日を
今日は過ごせているのか
毎日毎日が 本当は修業中

ですね。





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