豊かさとは何かで語られている地獄

聖書のなかでは 永遠の生命を得るためにはどうすればいいかと尋ねた裕福な青年とイエス様の対話のあと 弟子に語った
「金持ちが神の国に入るよりもらくだがが針の穴を通るほうがまだ易しい」という喩え話があります。

宗教的な人格の人は 豊かさや富を どうも 悪いものと考えがちで、清貧の思想に傾きがちです。ところが 現代では清貧の思想では成り行かないようです。イエス様の時代とは違う経済が発達しているからです。

1991年に大阪で行われた幸福の科学の講演会「豊かさとは何か」では お金についてこのような話をされています。

「お金」というのは非常に難しい問題を含んでおります。このお金そのものはどちらかというと価値中立的なもので、本来、善でも悪でもないものなのです。しかし、近代社会のなかでの経済の発展というものを見てみると、むしろ「善」に近い効用を持っているということはたしかであろうと思います。

例えば 発展途上国で非常に貧しい国には、経済がもっと潤っていれば、本当に心に地獄をつくらくなくて済む人はいっぱいいるのですけれども、経済が貧しいがために、次々と犯罪が起きたり、あるいは病気がいっぱい出たりして、そして、苦しみのうちに死んでいきますと、どうしても地獄領域が増えてきます。

その意味で、「経済が地獄領域を減らす」すなわち「環境をよくする」という意味合いにおいては、ある意味では「この近代においては お金は 善」かもしれません。

ところが、この経済には昔から大きな落とし穴がございます。それはイエス様がおっしゃったように「金持ちが神の国に入るよりもラクダが針の穴を通るほうがもっと易しい」という言葉があります。この言葉も非常に誤解されやすい言葉であるのですけれども、これは「この世的なる価値に執着しすぎて、あの世の世界、霊的世界の意味、あるいは存在というものを無視して生きた人は地獄に行きますよ」と、「そうした人が天国に行くのは、ラクダが針の穴を通っていくより難しいですよ」と、こういうことを言っているのです。

それは何を意味しているかというと「執着というものの怖さ」ということを、実は言っているわけであります。この「執着の怖さ」というのはいったい何であるかというと、どうしても物質的な豊かさをずっと求める傾向が強くなってまいりますと、この世的になっていくのです。それで、あの世のことを忘れてしまう。霊的なことを忘れてしまう。

豊かさや お金そのものではなく

物質的な豊かさが あの世のことや霊的な世界のことを忘れさせてしまうということが 一番大きな問題のようです。

地上での生き方が豊かに恵まれていても心の世界が澄み切っていなければ 心に応じた世界に死後赴くことになります。

この説法のなかでは4つの地獄があげられています。

餓鬼地獄ー 貪りの気持ち、奪いたいという気持ちが強い人のいく世界

阿修羅地獄ー人を責め苛み 悪口ばかりいう人のいく世界 世間の悪口、政府の悪口、他人の悪口、マルクス主義者が行きやすい地獄


無間地獄ー人の悪口をいう人のなかでも 特に人への影響力がある、 言論人 思想家、学者 宗教者が行く世界。その人が煽動すると周りの人がもっと悪くなってしまうので 危険な人の行く世界


色情地獄ー 一生を通じて男女関係で間違った生き方をした場合


心の間違いに応じた世界に死後赴くことになるようですが、あの世も天国地獄も信じないという現代人が多くなった今の時代は

経済活動のなかにも 地獄的領域が増えてきつつあるように思えます。

日本政府のコロナ対策の予算で
本来の目的や使命から外れた事をして利益を得ている人達がいるとするならば おそらく こういう地獄があることを 知っておいたほうがいいと思います。

ワクチンによる死亡事例など無いと言い切って、リスクを訴える声をデマ扱いした大臣なども 責任は重いと思います。


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