ユートピアの原理で説かれていた危機の時代と希望…エレミヤとハナニヤについて

1988年 大阪で講演されたユートピアの原理は 幸福の科学の十大原理下巻に収録されています。

これは 1988年の講演で まだ 幸福の科学には会員は存在しても信者はいない段階に説かれたものです。

霊言集を読んだ読者達が 続々と講演会場に詰めかけ、往復はがきで申し込んで整理券も出されていたのはこの頃ではなかったでしょうか。会場に入りきらない人が集まっていたからです。

この十大原理の 2章に収録されている「ユートピアの原理」がたぶん 最初に大川隆法総裁先生の講演会に直接足を運んだ最初だったと思います。

残念ながら、私はまだ十分に 信じることが的ない状況でしたが、当時の人で出家して職員になられた方も多かったと思います。一線を引いた状況で 活動に邁進する方々を見ていたといったところが正直なところでした。

その時の講演ではノストラダムスの新予言が発刊された頃でした。大川隆法総裁先生はこのように語られています。

個人の努力を重視する教えを説き、「努力によって運命は乗り越えていける」という思想を打ち出している私たちが、何ゆえに予言を出すのか、出さなければならないのか。こうした書物を出すに至るまでに、もちろん私自身の心の中においても、さまざまな葛藤はありました。そうした予言を出すことによる衝撃、また、その結果、生ずる責任者、これをどう果たしていくのか、それだけの覚悟ができているのかどうか。こうしたことが問われたわけであります。

1988年5月29日説法 「ユートピアの原理」より

しかしながら、言うべきことは言わなければならないときというものがあります。今から二千六、七百年も昔のことになりましょうか。イスラエルの地においても数多くの預言者が出ていたわけですが、そのなかにハナニヤという者がおりました。これは偽預言者ということで、現代に伝わっておりますが⁉️このハナニヤという人は、何か悪いことが起きるような予言であっても、そういうものを意識的に打ち消して、「よきことしか起きない。よきことのみが起きるのである」ということを語って、まあ、その当時としては、一世を風靡していました‼️それで、けっこう、人々の信頼、身分ある人の信頼を集めていたのです。

ユートピアの原理より

20世紀の終わりから21世紀にかけて危機の時代に どう希望を繋げていくか 新しいユートピアを作っていくかの御法話でしたが 今現在もまた危機の時代の最中です。

ここに出るハナニヤという人は旧約聖書のなかで 預言者エレミヤと対比される人です。

エレミヤはバビロン捕囚を予言しましたが ハナニヤは神が直ぐに民を バビロンから解放されるから 大丈夫だというような予言をします。
ハナニヤは王からも律法学者や祭司からも受け入れられますが、エレミヤは捕らえられ泥水の井戸に吊り下げられるような刑罰を受けます。


実際に起きたことはエレミヤの言った通りでした。

エルサレムの住民の罪とはいったい何であったのか 。
神の言葉を軽んじたことであったように思います。

主はこう言われる
知恵ある者は自分の知恵を誇るな
力ある者はその力を誇るな
富める者はその富を誇るな。
誇る者はただこのことを誇れ。
悟りを得て私を知ることを。
私こそ主、この地に慈しみと正義と公正を行うもの者。
これらのことを私は喜ぶ。

旧約聖書エレミヤ書 9-22

エルサレムの通りを行き巡り
見渡して知るがよい
町の広場でさがせ
一人でも見つかるだろうか
公正を行うもの、真実を探求するものが。
もしいるなら 私はエルサレムを赦そう

旧約聖書エレミヤ書5-1

旧約聖書のエレミヤ書を読んでみても、為政者に神からの厳しい言葉を伝えようとした者は受け入れらず
耳に心地よい言葉を伝えようとした者が現世の権力者から優遇されています。

2000年以上経た現在の80億人もの 人類の心境は さらに神から離れた時代になっていないでしょうか。



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