日本人は 自分の国を護るために 命を賭けることができるだろうか
という 思いをこちらの動画を拝見して思いました。
生命 至上主義になっている 日本社会では 「死」が最大の不幸で あって人を
「死」に至らしめる戦争は 最大の「悪」で
あるかのように 教育されているように
思えます。
「人の生命は地球より重い」
と 日本のかつての総理大臣は ハイジャックの要求を呑んで人質になった日本人の生命を
救いました。
大東亜戦争では その生命を 300万人も日本人は失ったわけですが ……
霊言ちついて 否定的な意見があるのは知っていますが。
霊言は仏の法ではありません。
あくまでも その当時を、生きた人の思いを知る手がかりにしたいと思います。肉体の生命を失ったあとも
私たちの心、
私たちの意識
私たちの精神、
私たちの魂は
生き続けますし、
地上に生きている人たちの「今」を見守ることもできます。
この東條英機の霊言をはじめ、 数人の軍人の霊言を読んで 驚いたのは
私の受けた教育で知る 太平洋戦争と当時の日本が戦っていた大東亜戦争は
違っていたのだと知ったことでした。
「公のために命を死ぬ」というのが 宗教思想でもあったと告げる言葉は 衝撃でした。
戦後の日本人の宗教に対する忌避感には
この 現人神の為に命を日本人の失ったものが
犬死とされて 慰霊が充分に行われていないということも 関係しているように思えるのです。
地獄に堕ちない為の言葉には
『日本の神々は、戦争責任を取らなかった。高天ヶ原、妖怪の巣窟と化し、国民と軍人は、何十年と、火炎と飢餓の中を逃げまどった』
という 箴言があります。
先の戦争は軍部の暴走によって起きたことであり
天皇陛下や日本国民は引きずられていったのだという論調になっていましたが そうではなかったことを 当時の最高責任者は語っているのです。
アメリカ軍の戦い方に 民間人を犠牲にすることを計画に入れていたことも指摘されています。
外国人が 日本人を救うために 命を懸けて 戦ってくれるつもりがあると本気で考えられますかということですね。
日本人が自分の命を惜しんで自分の国のために戦おうともしないのに、何より惜しい命を日本人の為に誰が犠牲にするでしょうか?
南モンゴルや チベットやウィグルも 国として共産中国と戦争をしたわけではありません。
仏教国でもあるチベットの政治の上層部は 戦いを望みませんでした。
その時点で 人の命が 失われることを避け得たとしても、 その後何十年も子孫たちが苦しむこともあります。
戦争を経験し、戦地で九死に一生を得た義父は 「死んで行く身からだから …」もう これからの政治や国の行き末には 関心が無いと言うことも言いました。私には 孫の未来のことも考えてくれれば それはあまりに無責任ではないかと言う思いもあったのですが
酷い戦いのなかで 傷ついてしまった 心を癒すのはそう簡単なことでは無いのでしょう。
一方的な 意見や考えだけを押し付けることはできません。
しかし 未来をどう 創っていくかは、今の私たちに懸かっているのは確かだと思います。