見える世界と見えない世界

見えない世界の真実 なんて どうやったらわかるんでしょうか。

現代のように科学技術も医療も進歩していると 見える世界だけで全て完結してしまって 見える世界だけで 幸、不幸を考えてしまいますよね。

先日 もう一度 「呪い返し師 塩子誕生」を観に行ってきました。

挿入歌が 昭和感ハンパない😅とも思うのに妙にはまってしまった 塩子登場シーンの詞と曲

♪くるぞ  くるぞ  くるぞ

 きたぞ  きたぞ  きたぞ

とうとう 塩子が やってきた♪の曲

塩子は7の日の午後7時7分に 魔方陣に置かれた願い事が書かれた 祈願書をお焚きあげすることで 出現しますが 生きている人間でもある不思議な存在です。

目に見える人間界で起きている 様々な事象の背後に 見に見えない霊的な世界からの働きかけや 影響があって 生きている人の心に応じた 霊的な存在が 呼応してくるのが 何度も 映画を観てるとわかってくるのですが…(普通はそんなに 何度も同じ映画を見ない😅)

問題解決のために 塩子が登場し

 詐欺犯や家庭内暴力の夫婦と対峙します。

そのとき「 この者に 憑きたる〇〇 召喚!」と一喝 憑依していた者が炙り出されて浮かび上がってきます。

女子高生に召喚された塩子が 

今度は霊を召喚している😊

そのときに クイッと首を傾けると この世の世界から 霊的な世界に移行していきます。

映像が暗くなってしまうので 見にくいなぁと思ったのですが、

憑依している 地獄霊や

怒りに呼応してきた鬼、阿修羅霊、

あの世があると人間に知られたら 取り憑くことができなくなるので「 あの世も 神も存在しない」と教育者に取り憑いて この世の人間を効率的に洗脳しようとする悪魔

等があぶり出されると 場面が一転して暗くなる。

きっと こんな 世界の住人たちも 私たちの心次第で こちらにやって来ては 嫉妬や怒り 無神論 唯物論を 増幅しているんだなぁと 思わされます。

塩子の言葉に

時には救いがたい者もいる。

自分で蒔いた種は自分で刈り取れ

といった台詞があって ハッとしました。

夫に取り憑いた鬼が剥がれたことに妻がにホットするシーン。

 でも その妻にも 怒りをコントロールできずに 夫を呪い子供に辛くあたる阿修羅界に通じる心があったことが 塩子には見えています。

時に 自分が 被害者であって 自分は何も悪くないと考えることもあると思います。

ただ 人を恨んだり憎んだりする心が常態化してしまうと その心に阿修羅霊が取り憑いて 怒りを増幅させ この世の地獄を作ってしまうのでした。

いま 多くの社会で起きている問題に取り組む時も 正当性のある抗議活動であったとしても、心の中の怒りが 私憤か公憤か 世の中を良くしようと思っての行動か 復讐心からの行動かの点検も必要かと 感じさせられました。




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