大川隆法 思想の源流 ハンナ・アーレントの霊言

大川隆法総裁の著作は すでに3000書を越える発刊点数なので 何から手をつけたらいいのかわからないこともあると思いますが、政治思想の源流ににあたるものは この 書籍なのかなと 私は考えています。

宗教と政治に関しても世間で言われる 洗脳や教祖の言われるままに 機械的に動く人ではなく 「考えるこのできる」人間が 政治に参加することの意味を教えてくれていると思うからです。

(もちろんもっと 教学を深められた方からすれば 間違っていると言われるかもしれませんが、幸福の科学と自由について考えを深める上で 大切な本だと思っています。)

ハンナ・アーレントの霊言を以下抜粋してみます。

アレント:(古代ギリシアの)レベルは高いですよ。「哲学する市民」だったわけですよ。「その哲学できる市民」は同時に「政治を議論できる市民」でもあったわけで。
アレント:そういう哲人政治家とまではいかないまでも「哲人政治家的素質をもった人たち」が議論できる場、その公共空間が「政治であるべき」だっていう考えで。
アレント:その意味でそれに匹敵しない「お金だけでやる人」とか「血統だけでやる人」とか、そういう人は、やっぱり、弾きたいなっという気持ち、私ははありますけどね。(そういう人たちは)「自分の自由」は求めるとは思いますけれど
質問者:でも 他の人にはそういう自分の自由を求めることはさせないですよね。             アレント:認めない。認めないでしょうね。他の人には。それを身分制っていうんじゃないですか。
アレント:上の人が自由で下は自由でない。下は搾取されたり、弾圧されたり、禁止されたりする。貢がされる。それが「封建制だし」

現代の中国共産党の政権もそうですが 日本もそうなりつつあるように感じます。ただ、決められたことに従って消費税をはじめ社会保険料を納めて 給付金という形のニンジンを時々与えられるだけの存在に日本人に 成り下がっているような気がします。

質問者:王様的な方がいて身分制があったとしても その王様が徳ある方で、下の人たちも大切に思っている方ならいいと思うんですけれども                                                                 アレント:申し訳ないけれど やっぱり「王制」は、私は…。

王制は必ず三世代以内に堕落する

とアレント(霊)は見ています。

アレント:必ず、その息子はボンクラで、悪いことをするのを、もう、生まれつき、知っているから。必ず堕落するので、やっぱり共和制の方が私は好きです。

ボンクラ息子!誰のことだと ツッコミを入れたくなります。あちこちにいますね(笑)

アレント:「共和制」でそうした自覚と、やっぱり知識・経験のある人たちが参加してクリエイトしていく政治。「参加型の民主主義」なんですけど、いちおう、一定のレベルを自分たちで作り上げてきた方々が意見述べる。そういう政治でなければいけないなと思っています。

参加型の民主主義だけれども 一定のレベルを作ってきた人たち意見を述べる

ここを読んだときには 少し参政党の事が浮かびました。参院選に候補者として立たれた5人の方は それまでの経験がそれなりにお持ちの方々でした。支持する党員には食の安全やワクチンリスクに対して今の政治に不安を感じる方が多いと思います。

 ただ、身近な問題を離れた 台湾有事の際の日本の政治の意思決定や 国際問題レベルの話になったときは 全員が参加できるようになるかしらとその辺りは少し 疑念を持ちます。

ハンナ・アーレントの信仰と思想についても述べていきます。

アレント:キリスト教的な神を信じているかとと言えばそれは違う。屈折している。「ユダヤの紙神に祈ってもユダヤ人はこれだけ迫害された。」ということに対する悲しさを帯びていることは事実ですよね。だから「無力」ですよ。その意味でのユダヤ人の無力さ?「アイヒマンは責めていいけど、ユダヤ人の無力さも自覚すべきだ」 というようなことは言っていますよ。

この アイヒマンと、ユダヤ人の関係は ワクチンを売り付けるアメリカの企業に唯々諾々と従う日本の政治官僚システムと 同調圧力に屈する日本人、新聞TV情報やエライ人が言うことは正しいと疑わない日本人の姿とも 重なってしまいます。

質問者:アレント先生を見ていると民族の枠組みを越えているような
アレント: 越えていますよ。ユダヤというか…ドイツ人だったから ドイツの「観念哲学」の流れを引いている。「観念哲学」は要するに「哲学が神学のレベルまで上がろうとしていた流れ」なので。
哲学が要するに「信仰」を越えて「普遍的な理性とは何か」を追及するものであったからね。それは カントも持っているような「無神論性」が哲学の中にはあることはありますけどね。「神」に対して「理性」でもって置き換えようとするところはあるから。
🌟この「神」というのが、得てして、先ほど言ったように、王制みたいな「君主」とか「王様」になって現れてくる神が多いからね。歴史的にはそうだから。
🌟それに対してその神と称する人の「個人の自由意志」だけでやられるんじゃなくて、やっぱり「普遍的な理性」というもので、 ある程度方向付けないと、危険があるという考えは持っていましたが。
🌟そういう意味での「良識の蓄積」というか「時代を貫くもの」というのは やっぱり知っていなければいないんじゃないかなぁ。

青春の日にこのアーレントの思想に触れていた大川隆法総裁が チャンネル桜の水島氏や 造反している長男氏の言うような自分が大統領になりたいような独裁者で無いことは明白なのですが そこまで考えずに批判される方の多いことには ため息が出ます。

大川隆法総裁の 前夫人との離婚問題も この王権神従説のように 過去世偉かった人は 今世もそのままで 尊敬されるべき、高学歴なものは高い役職について当然だといった 前夫人の考えの下での 教団運営はアレントが否定した神観 信仰観だったからと思えるのです。

大川隆法総裁が説かれるのは 過去世どれだけ菩薩や天使と言われた存在でも今世は今世としての修行があり 努力を重ねなければ 退転していくことがあるのだという教えです。家族間の離反ではなく、 師と弟子という立場での思想の訣別だとも言えるかもしれません。




この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?