人生にしばし病の時ありて

人の情けを悟るなり

奪うばかりの愛ゆえに……

自分が 経験しないと
人の気持ち
人の心が
分からないことが
数多くあります。

病気になる前には
病の人の心が わからなかったし
病のマイナス面ばかりを
捉えていました。

健康なときは
さらに プラス、プラスを求めて
何か 得よう 得ようと 心が外側に向かって
行きます。

けれども、
動けない、
外出はおろか
ベッドの上で一日の大半を
過ごす状況になって
スマホの画面さえも見るのが
辛い状況になったときには

避けていた
自分の心と
向き合わざるを得ない
時間が訪れます。

自分の心からは 目を背けることは
できなくなる時間。

そんなときに 仏陀の説法が
心を照らしてくれます。

見えていなかった 世界
見えていなかった 本当の世界
見えていなかった
私を生かしてくれている 多くの愛

今 ここで 生きているという
現実だけでも
毎日
水道から水を出して
顔を洗い、歯を磨く。

その水を 自分で何キロも歩いて
汲みに行ったわけではありません。

 水道管を敷設してくれた。
取水場から水を汲み上げ
浄化してくれた。
先人達のの力があって
蛇口から水を出している。

当たり前だと思っていることも
多くの
多くの人の
働きによって
成り立っていたことに
気がつきます。

今 生きているというだけでも
多くの愛に囲まれていたのに
まだ 欲しい
まだ 足りない
私が 求めているものを
与えられていない

そんな思いで 生きていたことを
病の時には 深く考えるように
なりました。

家族に対しても……
何かしてあげたと思うときに
もう すでに それは
見返りを求めた愛に
なっていたのではないか


悟りを開かれたとしても
悩みというものは
出てくるものだと

悩みのない人は一人もいないのだと

それを知ることも
大切なことでした。

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