エル・カンターレ信仰

エル・カンターレ信仰は何かということを 問われたら何と答えることができるか考えることがあります。

幸福の科学で 初めて明かされた神の名

聖書にあるアルファでありオメガである存在。

神々の主。

と説明されて、本当に 理解できるでしょうか。
で、私自身が本当に理解できてるのでしょうか。

ただ 今の私が 言えることは こんなことかもしれません。

1981年の3月23日に 大川隆法総裁先生が大悟され、その後エル・カンターレであることを告げられて活動を開始されるまで 商社マンとして雌伏の時代を過ごされています。

国際政治や法律の勉強をした大学生が商社マンとして就職される直前に 霊界からのメッセージが降りてきたのです。

通常は こうしたことは 一笑に付されてしまうことかもしれません。

でも、私は 今 それを信じている。

時間をかけて 信じられるようになったというべきか。

今後 二千年、三千年 伝えていくべき教えだと思っています。

30数年説かれ続けているのは 心の法則 宇宙の理法。(だと 思っています。)

人間は神仏の子であり 神仏の光を宿した存在であること。

肉体の死後も霊的生命として生き続けるということ。

人間の本質は肉体ではなくて 霊的存在であるということ。

考えること 思っていることが その人自身であること。

思考するエネルギー体が 私たち本当の姿であること。

人類の創世がいかなるものであったか。

人間が地上で生き死ぬ意味。

新しい宇宙時代を拓く智恵。

そうしたもろもろの全てを学べるということ。

そういう壮大な話はもちろん魅力的なのですが、あくまでも コツコツとした努力の積み重ねや 謙虚さの底力が説かれているところ。


2022年の6月には大川隆法総裁の3000冊の書籍の発刊記念講演がありましたが、この3000冊は 1回1回の講演、説法が書籍化されたもので、その説法を直に聞いてきたものにとっては 総裁先生の努力の積み重ねが 私たちに何を伝えてたいのか 教えられているように感じます。

霊的世界からの啓示を受け、あなたは 天使や菩薩だと言われたり 救世主だと告げられる人はいるとは思うのです。

それが本物かどうか、本当に人類を幸福に導くものであるかどうかの検証無しに、鵜呑みしてしまうことはできません。

そして、それを全部妄想だと片付けて、否定し捨て去ってしまうこともできないと思っています。

そのなかに  真実があるかもしれません。

その時代の 当たり前や 常識とされていることが 常に正しいとも言えません。

真実であるかどうかは、
地道な探求が必要であり、
自分の心に間違いや
曇りがないかという
日々の点検が欠かせないと思うのです。

コツコツと努力を積み重ねていくことや 他人の意見を聞くという謙虚さが慢心を防ぎ 魔境から自分を護ることになります。

特に、宗教的指導者や政治的指導者は 道を誤ると 自分一人の問題ではなく多くの人間の幸福不幸に影響を及ぼすものですから、責任もより重くなります。

旧約聖書を読むと

神からの言葉を託された預言者が その仕事の重さに尻込みし、逃れようとするような記述もみえます。

「信じない」という人に「信じる」世界を伝えるのは難しく、

「現代の常識」と  かけ離れた 「神の言葉」を伝えるのは難しく、

「見えない」世界を 「信じて伝える」ということの難しさを 熟知しているからだと思います。

この世的なエリートとされる人ほど 神からの言葉を聞いても
 この世界において、尊敬を受けたり、名誉であったり、財産を為したといった生きやすさに繋がるというよりは、
世間から嘲笑を受けたり、社会的に抹殺されかねないということを知っている筈です。

それを 熟知していながら、真実は真実、 事実は事実だということを、伝えつづけなければならない使命の人が降りているのだと
思っています。



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