しがない一般女子が大喜利にハマるまでの話

おはこんばんちは!どうも、やるみです!
今回はちょっと長編で、私の大喜利ライフを振り返ってみたくてチマチマ書くことにしました。
需要なんてないと思うし、しらんがなだと思うけど!!!自分でも大喜利のことを振り返りたいし、誰か奇特な人がいたら読んでくれたら嬉しいっ!

1.やるみ、大喜利はじめます
LINE大喜利編

私が大喜利と出会ったのは2020年初めのお話。
その2年前ぐらいに職場のストレスやら色々と限界でメンタルがやられ、声が完全に出なくなり、ひたすらゲームに打ち込んだりするのも飽き始めてた頃。
お正月から暇で暇でLINEのオープンチャットでお話相手を求めフラフラと徘徊していたところ、ひとつのオープンチャットが目に入りました。

「大喜利番付」。後に古巣となるこのオプチャ、これが私の大喜利人生の始まりです。
まず、大喜利番付がどういうところか軽く説明すると、LINEで大喜利をするオプチャなんですが、毎日決まった時間に出題者からお題が出ましてそれに最大3回答します。
それ以外の私語は厳禁でひたすら大喜利するだけ。そしてお題が締め切ったら出題者が採点に入り、出題者が1位から10位まで順位づけするといった流れ。
順位によってポイントが付いて、そのポイントランキングが発表されていたり、月に一度ポイントランキング上位者でトーナメントが開催されていたりと競技性がそこそこ高めの大喜利オプチャでした。

当時のポイントランキング

そんな感じのオプチャで初めての大喜利というものに挑戦した私。
そもそも大喜利どころかお笑いすら殆ど興味がなくて(というか母親がお笑い番組をあまり見ないので見る機会がなかった)、右も左も分からない状態。最初に答えた回答はこんなのでした。

お題
こんなクラウドファンディングならお金を払いたい

回答
セフィロスの名前を白髪ネギ太郎にしたい
(5000ギル)

何言ってるんですか?
全くもってよく分からないです!!はい!!
もちろん入賞なんてする訳もなく、こんなもんだよな!と思いつつも毎日3つ回答を送るだけという気楽さもあり、たまーに入賞したら嬉しくてのんびりやってました。

大きく動いたのは3月のこと。
少しづつ慣れてきて、大喜利の答え方…のようなものが見えてきた頃。
この頃になるとオプチャの環境も見えてきて、出題者の人によって回答を選ぶ傾向が違ったり、どの程度の「面白い」が許容されてるのかも考えながら投稿するように。
ポイントもコンスタントに貰えるようになりこの月はトーナメントでは初の予選免除で本戦からの出場となりました♪
そして、このトーナメントが初の私の大喜利におけるトロフィーとなります。
そう。初本戦でそのまま優勝しちゃったのです。正直ぶったまげましたし、この日は全く眠れなかったのを覚えてます。
今考えても大喜利を初めて3ヶ月でこんなに上手くいくのは本当に出来すぎでしたし、幸運に恵まれてましたね!

はじめての大喜利トロフィー

そこからはのめり込むまで早かったです。
毎日、時間になるとお題をチェックし、隙あらばお題のことを考えて、時には雑コラ画像を作成したりとひたすら大喜利に熱中し続けていました。
大喜利番付という場所も私のスタイルに合っていて、ひたすら自分の面白いを表現する。
その為なら画像で回答する人もいれば長文で答える人もいる。時には音声や動画で回答を出す人もいたり、面白ければなんでもいい。
今思えばかなり無法地帯で自由すぎる場所でしたww

そこで約半年、ただ毎日大喜利をして時には雑談オプチャに顔を出して、とても楽しい時間を過ごしてました。
またもや転機は8月。
私の持病と言うか、これはもう本当に病気なんですが、のめり込みすぎると本当に暇を忘れて体調を省みず打ち込む癖があります。
そして、実際に体調を崩します。
そういう時は決まって母親からストップがかかるのですが今回もかかりました。
これ以上ここで続けるのはよくない。
そう思い、私は番付を去りました。
(この後2ヶ月ぐらい寂しくて出戻りします)

しかし大喜利はやめたくない。
そこで私はゲーム用に登録して動かしていないTwitterアカウントを思い出しました。
そう。これがまた新しく、さらに深い大喜利の沼になるとは知らずに…

Twitter編につづく。


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