「鬼太郎誕生ゲゲゲの謎」愛の話でした

 1回目の視聴を終えて、感想を書きなぐりたくて投稿しています。随所に愛の感じられる傑作でありました。
 素人なので記憶違いや知識違いはごめんなさい。

●水木先生とキャラクターへの敬愛
 作中水木の欠けた左耳は水木先生の左手を彷彿とさせます。水木もまた戦争生存者であり、フラッシュバックでうなされています。爆撃にさらされ、上官に生き残るなど恥だと罵られた水木先生の戦争体験、御大曰く「戦死兵たちに描かされた」著作、全てへの畏敬が込められていました。
 ゲゲ郎に見る涙もろさ、ちょっとしたお茶目さ、風呂好き、どれもが今まで我々が見てきた「目玉おやじ」そのもので、ああ、彼だ、とじわっと実感します。
 個人的に鬼太郎ねこ娘カップルが好きなので、6期美形ねこちゃんを受けての鬼太郎母のビジュアルだとしたら本当に尊いの一言です。
 それからねずみに似た謎の少年が、水木に「先生」と呼ばれて調子に乗るのですが、そういえば原作で人間を騙しているときよく「ねずみ男先生」と呼ばれてるな、と。水木がきっかけだったかもしれないとほっこりしました。謎の少年も作中非常にいい動きをしていて、余所者を嫌う村になぜか溶け込んで、いたりいなかったり、ふっと消えていく様が本当に彼らしい。

●背景、冒頭
 昭和31年(1956年)、戦後混乱期を乗り越えつつある過渡期。国民の衣食住はまだまだ安定しておらず、貧しくも活気があった時代でしょうか。水木の勤める血液銀行は、1952年に日赤が米国の援助を受けて設立した実在の施設で、輸血事故を防ぐ目的ではありましたが、実態としては貧困者が金策のために血液を売りに来ていたようですね。血液銀行社長室の不気味なデメキン、水木の母から財産を騙し取った親戚と克典の金歯、目に見える裕福の証が、いやらしく映ります(デメキンが近親交配の暗喩というのを見かけました。天才)。立ち上がったばかりの会社で、もっとのし上がってやる、と野心を抱く水木は、下っ端ながら暮らしには困っていないように見えます。
 タバコの煙が充満する蒸気機関車内でゲゲ郎と邂逅。この時代は喫煙が普通だったのでしょうが、見ている側は咳をする少女が気にかかります。(Peace、墓場鬼太郎がタバコ屋で「おばちゃん、ピース!」と呼びかけているシーンがあったような?)死相というならきっとこの列車全てが死に向かう臭いだったと思うのですが、ゲゲ郎さんが水木にだけ声を掛けたのはなぜでしょうね。戦死者に憑かれているのが珍しかったのでしょうか。

●因習村の土着信仰
 村に入った水木を警戒する者たち(社の中から何かが水木を見ている演出がすごい。塞の神説、なるほどです)と、水木をもてなす克典。ビジネスチャンスに駆けつける水木から、自分と似た野心を見出していたのかもしれません。時貞の遺言によって地位を失った克典から、水木は「龍賀製薬の秘薬“M”」の製法解明を持ちかけられます(5期吸血鬼エリートが鬼太郎に使った薬、“KP”コロリポンでしたね。何の頭文字か気になります)。
 また、「時貞は何かよく分からない土着信仰をしていた、俺は好かない」という克典の話と、串刺しうさぎの供物から、モデルは諏訪大社のミシャグジ信仰と見受けられますが、民俗学・宗教学に明るくないので有識者に任せたい。素人調べで見かけた「ミシャグジ信仰には必ず大樹と祠がある」は村の入口と穴ぐらの底、「現人神(8歳)」は時弥くん!と思いました。
 禁忌の島と神社側(龍賀の屋敷にあるお籠りの社)の鳥居が向かい合わせで、これまた素人調べの風水的理論では、「鳥居は結界であり良い気を呼び入れるもので、逆に向かい側はよくない気の跳ね返りを受ける」と。哭倉村でかつて祀られていたミシャグジ(土着神)は、時貞あるいは狂骨が成り代わっていたと思われるので、村と島とがもうよくない気のごった煮状態なのでしょう。冒頭の列車にいた咳する少女を村へ導いたのは人形だったのではないか、とも思います。呪いが呪いを呼ぶ状態だったのでは。
 さらに狂骨をコントロールするには恨みを煮詰めた瘴気に当てられ続けるので、時麿も時弥も乙米も体調不良になったと。時麿だけなぜ白塗りなのか。白は高貴な色で「神に選ばれた証」という説もあるので、彼は本当に時貞から大事にされていたのかもしれません、ただし依り代として。
 また、武士の甲冑も意味深なモチーフです。5月に飾る鎧兜の意味は「子どもが健やかに育つように守ってください」です。鼻に指を突っ込むのはそれに対する侮辱というか嘲笑というか。村が朽ちた現代にもその場に残り続けていると思うと、願いのような希望のような思いを感じます。

●愛されて
 鬼太郎の泣き声に呼応して、幽霊族ご先祖様たちの髪の毛がちゃんちゃんこを形成する場面、愛以外の何でしょうか。父に、母に、祖先に、愛されて守られて彼は生まれてきた。そしてこれから水木の愛も受けて育つと思われる。この物語を経ての墓場鬼太郎1話だとしたら、6期だとしたら、目玉の親父だとしたら、と考えるだけでまるで深みが違う。
 水木に大切な人ができる未来が「くるさ」とゲゲ郎に言わせるに至った妻の存在感もまた、愛で溢れた夫婦を想像させます。変わり果てた妻を見たゲゲ郎の第一声は、加害した人間への怒り恨みではなく、「長いこと一人にして悪かった」という謝罪でした。水木は自らも含めた人間の醜悪さに「世界など滅べ」レベルの投げやりになっていましたが、ゲゲ郎が人間の持つ温かさ、罪悪感に葛藤する弱さ、それでも諦めずに進む強さを信じて愛してくれたから、この結末を迎えられた。
 私個人も未熟ながら親であり、子世代の未来を憂う日が続きます。けれども私たちが絶望して腐った世を見捨てることは、子のためにならない。できるものなら負の連鎖をここで断ち切りたい。できることは何か。それを探すこともまた愛かもしれません。

 まだまだ細かいところまで拾えていないのですが、ひとまずここまで。水木先生とスタッフ、制作者、関係者の皆様に限りない感謝と愛をこめて。

2023.11.30 ゲゲゲ忌に。
2023.12.1 一番書きたいことを書き忘れたので最後の項目に加筆。

 

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