忌まわしき「地元集中受験運動」

この時期、中三生は三者面談、早けば推薦入試などがあったりする時期。
自分は大阪府北東部の高度経済成長期に人口が膨れ上がった地域で、生まれ育ちその時期を迎えた。その時に大阪府は「学区制」と言うエリアの制度が確立され、2014年に府立高校の学科別化により統廃合が行われた後、廃止された。今では自分の学力、興味分野をフルに活かしそれに見合う高校へ府立私立問わず自由に通う事が出来たことは誠に素晴らしいことではないか!
自分は1984年春3月府北東部の小さな市で「忌まわしき黒歴史の三年間の卒業」を迎えた。この時ホームルームの時間になると、「やれ高校間格差」や「やれ地元集中受験」と言う言葉が秋口から飛び交う。「15の春を泣かすな」とか如何にも左翼的風潮が自分の通っていた某中学校にあった。
職員室では「主任制阻止」等の寄せ書きがデカデカと貼られ、ある年の頃校長が「主任制を導入する」旨を発するや否や校長を監禁し質問攻めにあいメンタルを少し病み暫く校長の空席期間があった。その中学校を仕切っていたのは校長でも教頭でもなく、一介の体育教師(女性推定年齢30代後半)であった。エゴサするとその後極数年前まで某私立女子大で教鞭をとり、その傍ら好きなソフトボール部の監督になったとか。(今は退職したという)
中学に話を戻すと入学と同時に、学生証と別に学科毎に取り決めが書いたザラ紙ぺら一枚にびっしり書き連ね。中でも体育科のマニュアルは規定が事細かに書かれていた。学年ごとにゼッケン(組名と名前・男子は短パン半袖シャツ・女子はブルマに半袖シャツ、頭には学年ごとに色の異なるハチマキを付けることが基本原則。授業は奇数クラスと偶数クラスと合同授業。始業のチャイムと共に「ファイト!ファイト!」と大声で掛け声を全員が出し、校庭のフィールドを5周から始まり、それから体操、そして陸上競技がメインで授業が行われ最後の〆に1500m持久走があり
そのタイムを日日体育委員に報告、体育科教師に提出。雨の日も降雨下でグラウンドで授業をするという今思えば気違い染みた授業。その他特徴ある点として身障者(主に精神障碍者)も一般授業に参加、1クラス担任と副担任の二人体制で副担任がそれらの世話をする。一応「養護教室」なる特別学級もあるが基本は健常者と同じ教室で居合わせる事となる。制服は今で言う「学ランにフィットしたスラックス、手提げ鞄に、セカンドバッグ」詰襟のどちらかにクラス標、役職になってる者(代議員・風紀委員等)の役職標を付けることになっていた。夏は開襟シャツに胸に両ポケットが付いているものを着用。夏用に校章ピン、が支給される。12歳から3年間刑務所暮らしの様なモノである。ホームルームには朝夕のショートに金曜日6限目にLHR(ロングホームルーム)があり、ココで成績の奮わない者、家庭などで問題を抱える該当者は「促進」という時間となり、別室で担任と相対しアドバイスやカウンセリングを受ける(と言うのは表面的なモノで)大体後述する進路指導の事などで詰問されたりする。当然この時代、体罰は日常茶飯事で
げんこつは勿論、ビンタ、鉄拳制裁等。

さて三年生となると先述したように「地元集中受験」に舵を切り、指定された高校へ受験を強制される。もしそれに反する者には授業中断して行われる学生集会で晒し物にされ毒されたものから集団で糾弾され、迫害される。言い方はよくないがまるでナチスドイツの政権下のユダヤ人の迫害に近い。
受け入れる学校(高校)は募集565人、対象となる中学は2校の生徒500人越えの志願生徒を中学校側が半ば強引で「捻じ込もう」と画策している
コレは水が満杯のコップに更に水を入れる事態無理筋な事であり、不幸な不合格者を生む事になる。
進路指導が適切に行われていない証拠に「内申(調査)書に虚偽の記載」をするなど…。
刑法155条「公文書偽造罪」など平気でやってのけるほどの犯罪擦れ擦れでやっていたとのこと。こういう事が明るみになり巷で噂になり地方公務員法第29条1項服務規程違反」に該当する事も度々あったと記憶している。
こういう「悪しき運動は」影を潜め形骸化するものの水面下では一部の教師が生徒を「呪縛させる」事が少なからず未だに存在する事を忘れてはならないのである。その渦中で同期に集団で自分が殺され掛けられたことも忘れられない事である。今でもうつ病の身になりこのような悪夢をみることが往々にしてある。
最後に3年の時に彼女が我々卒業生に送った言葉を記して筆を置く。
侮るな(相手を軽く見て、見くびるな)
媚びるな(相手の機嫌を取ったり胡麻をするな)
後もう一つあったけど…忘れた(笑)
                       2023年12月10日
                       坂本豆廼丞筆

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