14.「ファッションは本当」と唐突に思った話
「ファッションは本当」と、突然思ったことがあります。
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インターネッツをしている時はその時の自分にしかわからない話し方をしがちマンなので、後々見返すと何が言いたいんだかよくわかんないですね?????
『ファッションは本当』ってどゆこと??
形だけ、見た目だけ、格好だけ、にわか、みたいなモノを指す『ファッション◯◯』というスラング(というか揶揄)がありまして、私も以前はなんてことなく受け入れておりましたが、よくよく考えるとなんか失礼というか、ファッションの意味がなんか難しいなと思い始めました。
ファッションは服飾品、纏い、装うもの。
手足などの肉体と違って、簡単に取り外しができるもの、という意味では、まあ、「見せかけ」という意味合いがあるのも理解できます。
でもなあ……、なんかだかなあ……、と感じたことから「ファッションは本当なんだ」と思い始めました。
思ったというか、そう確信した時に得られるものがとても豊かで好きになった、という感じのが正解かもしれません。
例え、何かを身に纏って、見せびらかしたとしても、他人の心は他人のものなので、自分の意図通りになるとは限りません。
かなり極端な話になりますが、見た目やステータスを表現することで、他者に与えようとしている影響が、自分の意図100%でコントロール出来ない限り、『見せかけ』という概念は拭い切れないわけです。
ですが、「見せかけているだけで、本当は見せかけどおりではないまたは見せかけほどの程度に及ばないこと。」
このジャッジを、誰が行なっているのか?
その審判は正しいのか?
これが真に明らかになることは、『自覚』以外の方法はないんじゃないでしょうか。
なら、自分の装っているもの、身につけているもの、自分が世界に対して見せかけているもの。
こう思って欲しいと、祈るように願うもの。
自分が本当に素敵だと思い、本当に似合うのだと、心から思ったもの。
そうしたものを自分で選んで身につける『ファッション』は、『見せかけ』という意味を超えて、本物になり得るのではないか?
「ファッションが本当」というのは、こうした気持ちから生まれました。
『自覚』というものの、あやふやさと絶対性の両方の上にある『ファッション』は、何だかとても良いなあと。
あと最近は、『ファッション』に確実性がない(他人から「見せかけているだけで、本当は見せかけどおりではない、または見せかけほどの程度に及ばない」と思われる可能性が無くなることはない)のであれば、そんな不確実性を引き受けながら『ファッション』を楽しむことは、本当に、強く強く自分と世界を抱きしめる、とてつもなく素敵なことなんだなと思ったりしました。
あまり考えが上手くまとまらず、ゴニャゴニャした話になっていますが、ファッションというものは、ただ『装う』というだけではない、なにか世界との関わりだとか、信頼だとか、色んなことと密接に結びついている気がしています。
こういう感じのお話は、たくさん書籍が出ておりますが、鷲田先生の著書を読みながら寝るようなポンコツ野郎なので、まだまだ勉強中です。
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